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鮮血の美学のninjiroのレビュー・感想・評価

鮮血の美学(1972年製作の映画)
2.8
【パッケージを開封せよ】

これ好きだ!とか、これ観たい!と勢い買ってはみたものの、買った時点で満足してしまって棚に並べて幾年月、というDVDやBlu-rayは多い。
しかし後生大事に取っておいたところで、明日をも知れぬ我が身、いずれは新品同様のまま他人の手によりブックオフへ、という運命。
そんな作品達のパッケージにかけられたビニール包装を自ら剥ぎ取り、気が進む進まぬに関わらず一応一度は観ておこうという勝手な誓いのもと、観たという事実を粛々と、簡単に記録します。

本作は、何で買ったのか自分でもよくわからない。
ただ、幾つかの意味で後のホラー映画に繋がる源流のような作品であり、そんな歴史的価値にのみ意義を感じたのだろう。
監督・脚本に昨年亡くなられたホラーの名匠、ウェス・クレイヴン、制作に「13日の金曜日」シリーズの産みの親、ショーン・S・カニンガム。
クレイヴンは本作がデビューとなるのだが、後の「エルム街の悪夢」や「スクリーム」などの作品に見られるような言ってみればウェルメイドな作風の欠片をここに見付けるのは難しい。
ただただ荒削りで、陰鬱・不快な作品である。

物語は大きく二つのパートに分かれる。
一つに、脱獄した凶悪犯達が若い二人の女の子を監禁し、ジワジワと痛めつけながらレイプし、殺害するまで。
二つに、どうしたことか、たまたま彼女らを殺した場所が彼女らのうちの一人の家の目と鼻の先だったことから、それを知らずにのうのうと一宿一飯を請うた犯人達が父母達にリベンジされる、というもの。
ベルイマンの「処女の泉」を下敷きとしているというが、それを聞き知ることにより、そこに尚更に病的な痕跡を見る。何故なら、本作はただその名作のプロットの暴力的な部分だけを抜き出して思うままに増幅し、結果誰にも何の救いも残さないという清々しい鬼畜ぶりが展開されているからだ。
ベルイマン?神?知ったことか!という凛々しい反骨と取るべきか、ただの若気の至りと取るべきか。
全編を覆うチープにして各シーンに全く噛み合わないBGMも気味の悪い異様さを増幅させる。

また本作の資料的価値としては、70年代に濫発された「レイプリベンジ」もの(正確には、凌辱された本人によるリベンジではない点をもって「狼よさらば」シリーズの系譜としても良いと思うが)の先駆けと言われる点、「悪魔のいけにえ」に先駆けてチェーンソーを殺人ツールとして史上初めて使用した点、ハーシェル・ゴードン・ルイスを起点とするエクスプロイテーションの枝葉の一つであったスプラッターの萌芽を後のブームに繋ぐ架け橋となった点等が挙げられるだろうか。

「簡単に」との前置きがあったにも関わらず、書いてみたらなんだかんだと長くなってしまったが、今日的な目で見ればスプラッターとしては致命的にエフェクトがお粗末であり、倫理的な破綻具合も物足りない。
結果、あんまり好きな映画ではない、ということが確認できた。
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