みみみ

ミスティック・リバーのみみみのネタバレレビュー・内容・結末

ミスティック・リバー(2003年製作の映画)
3.3

このレビューはネタバレを含みます

ことの始まりは子ども時代のイタズラ
そこから先は神様のイタズラ

【あらすじ】
幼少期、ショーン、ジミー、デイヴの仲良し3人組はいつも一緒に遊んでいた。とある日、いつも通り3人が遊んでいる途中に固まりきっていないアスファルトに名前を遊ぶイタズラをしていると、警察を名乗る男達に声をかけられる。そのまま男達に言われるままに車に乗せられてしまうデイヴ。しかし、男達は警察などではなく、デイヴは誘拐と酷い性的暴行を受け、それ以降3人もバラバラになってしまう。
大人になったショーンは刑事になっていた。そんなショーンのもとにある日女の子が遺体で見つかったという報告が入る。その女の子とはなんとジミーの娘であった。運命の悪戯か、この事件をきっかけにまた顔を合わせることになる、仲良し3人組。しかし、とある出来事をきっかけにジミーはデイヴが娘殺しの犯人ではないのかと疑い出し……

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人生とは選択の連続である
ほんの小さな選択がその後の運命を大きく分ける
そしてその選択は決して元に戻すことはできない

僕が人生でひしひしと感じている、そんなことをテーマにしてあった映画だった

少年時代の仲良し3人組がひょんなイタズラ中のとある出来事で離れ離れになり、数十年後に再会する。
離れ離れになった理由は子ども故の幼さ、無知、勘違いが発端だったが、そのせいで心に大きな傷を負うことになったデイヴ。
久しぶりに再開したと思ったのも束の間、3人の関係性は「被害者の父」「容疑者」「刑事」というとんでも三角関係。
しかも、「被害者の父」のジミーと「容疑者」のデイヴは"持つ者"と"持たざる者"という関係。
あの日のあの出来事以降、それぞれが行ったそれぞれの選択の結果、それぞれがあるべき姿になって再会したものの、また様々な選択の結果食い違いが起こってしまい、「被害者の父」は「罪なき人を殺めた殺人者」へ、「容疑者」は「川底へ沈む遺体」となってしまう。

良くも悪くも人生とはあくまでそれぞれの選択の結果出来上がっているものだし、自分の人生の選択はできても、他人の選択は変えられない(他人の選択によって自分に及ぼされる影響については変えられないものがある)、ということを改めて実感させてくれた映画だった。

とはいえ、世の意見ほど「胸糞映画」って感じなかったってのが本音。
3人の友情もそんなに強い結束じゃなかったと思うし、そんな3人が久しぶりに会うことになる出来事があれじゃ、(3人の経歴も鑑みると)ああいう結果になるのも至極真っ当、人としてそうなるだろうなあって感じだった。
映画なのにファンタジーじゃなく、リアルに即しているってのが「胸糞映画」って言われている理由なんだろうか?どうなんだろうね。

ただひたすらに運命に弄ばれ、選択の結果が不条理であり続けたデイヴが不憫でならなかった。それ以上でもそれ以下でもない映画だった。
みみみ

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