みみみ

ミリオンダラー・ベイビーのみみみのネタバレレビュー・内容・結末

ミリオンダラー・ベイビー(2004年製作の映画)
3.7

このレビューはネタバレを含みます

上がったり下がったり
そんな繰り返しもうかったりぃ
なんて言えるだけまだマシだったり

【あらすじ】
ボクシングジムの経営者であり、ウィリーというタイトル獲得目前の怪物ボクサーを作り上げた「どんな怪我でも止血をする」と言われているフランキー。そんな彼の下にマギーという女性が指導をして欲しいと頼み込んでくる。フランキーは女性のボクサーは指導しない主義であり、かつ、マギーが31歳というボクサーとしての旬も過ぎていたことから、何度も頼み込んでくるマギーを相手にしていなかった。
しかしある日、フランキーはウィリーから他のマネージャーと組みたいと突然別れを告げられる。突然の出来事であったので大きく落胆したフランキーであったが、マギーのガッツや才能に少しずつ惹かれ始めていくようになる。
それからというものの、マギーは著しく成長し、ついにタイトル獲得目前というところまで異例のスピードで到達することになる。マギーの、そしてフランキーの夢が叶うと思われた試合の最中、相手の不意打ちによりマギーは全身付随となる怪我を負うことになってしまい…

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高低差凄すぎて耳キーンなるわ。本当にそんな映画だった。
中盤までにかけてはマギーが怒涛の快進撃を見せ、見ているこっちも「いけ!ぶちのめせ!」みたいなアツい気持ちになることができる。一方で中盤からはそれまでの幸せや喜びが嘘だったかのようなマギーの転落を見せられる。凄まじい高低差だった。
でも決して世間で言われているような胸糞映画ではない、ボクシングというツールを使って人生についての教えを説いたり、上手く表現をしたりしている、トンデモ映画だったというのが僕の感想だ。

胸糞って聞いてたけど、なんか言うほど全く救いがないってわけじゃなかった気がする。個人的には中盤までの持ち上げとそこからの落としの高低差がすごかったとは感じだけど、胸糞では決してなかった気がする。
マギーは自分の夢を追い続けた結果、最高の指導者に出会えて、1年半という信じられないスピードで夢に手を伸ばすことができた。夢を掴む直前でクソったれ女に無情にも夢を追う権利も身体の自由も奪われてしまったわけだが、その結果だけを見てこの映画を胸糞って言ってしまうのはなんだかなあ、と思ったのが正直なところ。
マギーは才能にも指導者にもおそらく運にも恵まれて31歳からの、短いながらも最高のボクサー人生を送ることができた(もちろん彼女の努力とガッツありきだろうけど)。夢に手を伸ばすどころか、様々な理由でもっと早く挫折したり諦めざるを得なかったりしたはずの、表には決して出ることがない死体がゴロゴロ転がっていることを考えると、胸糞という言葉で表現しちゃうのはどうなんだろうなあ、とやはり思う。

そして、この映画はその他にもとかく人生の教訓みたいなものについても語られていたな、と感じた。
まず冒頭の「時に最高のパンチは一歩引いた時に打てる」というセリフ。突っ込みすぎても良いパンチは打てないし、引きすぎても闘いにならない。押してダメなら引いてみろ、なんて日本語もあるけど、押すだけでも引くだけでもダメ。ベストな塩梅を探す必要がある。でも勝ちに行く気持ちが出過ぎると往々にして突っ込みがちになる。そんな時に一歩引いてみるのも肝要だ、と思わせてくれる良いセリフだった。
そして"ハートだけのボクサー"のデンジャー。ジムの人間にもフランキーにも笑われ続け、一度完膚なきまでに叩き潰されたことによってジムを去った彼からも教訓を得た。才能にも師にも運にも恵まれてガッツもあったはずのマギーは全身付随になった結果、心が折れ、命を断つことを選んだ。だが、ハートだけのデンジャーは一度はジムを去ったものの、エディの「誰しも一度は負けることがある」という言葉を信じ、立ち直り再びジムに戻ってきた。もちろん、失ったものが違いすぎるから単純には比較できないのかもしれないけれど、きっとデンジャーなら全身付随になってもハートを燃やして、動き続けたんじゃないかと思う。少なくとも、デンジャーや僕みたいにハートのアツさで持っている人間は心が折れたら終わり、何も残らないということをジムから去る、そして戻ってくるデンジャーの姿から学ばせてもらった。(マギーの場合はそこまで燃え尽きれるほどのものがボクシングだった、という捉え方もできるからそれはそれで良いことだとも思うんだけどね。)

そしてこの映画、表現の仕方も凄まじかった。
冒頭で「これ(ボクシング)は尊厳のスポーツ。人の尊厳を奪い、それを自分のものとする。」と語られるシーンがあったが、これをとんでも伏線にするとは考えられなかった。ボクシングが題材の映画ということで、普通にボクシングについて紹介していたのかと思っていたんだけど、マギーがあのクソったれ女に自分の生きる意義、まさに尊厳を奪われることを示唆していたんだろうと思うと、表現の仕方がうますぎるだろうと思う。
そして作中に何度も出てくる傷・怪我の話。「傷や怪我には処置不能のものもある。表面上問題がなくても、2度と治らないものもある。」これもフランキーのことをまんま示唆していたんじゃないだろうか。エディを選手として殺してしまった後ろめたさや、エディと共にマネージャーとしてタイトルを取れなかった心残り。一見振り切れているように見えるフランキーの過去も彼の中では決して消えるものではない、ということをこの傷や怪我の話で示唆しているんじゃないだろうか。
こういった示唆がふんだんに散りばめられていると感じた本作、本当に細やかな表現が上手すぎないかと思った。

余談だけど、フランキーが手塩にかけたウィリーやマギーが、言葉を発さずともフランキーの思った通りに、まるでリンクしているかのように動くのはすごくグッと、キュッとした。高校の時のヨット競技で僕らのペアがコーチに笑いながら話をされたのとまんま一緒だったから。他の高校のコーチに「あんたはGPSでもつけてるのか。そうじゃないとおかしい。」とまで言われたらしいから。結構ある話なんだなあ。

長々と書いてしまったけど、やはり本作はバッドエンドともハッピーエンドとも取れる、というか、見る人によって受け取り方が大きく変わる作品なんじゃないかあ。そんな本作を、ネットでよく見るように一概に「胸糞映画」って言うのはやっぱり浅い気がしてしまった。

あ、"モクシュラ"って良い言葉だったよね。僕も今後使っていこうかな。
みみみ

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