荒野の狼

ネコを探しての荒野の狼のレビュー・感想・評価

ネコを探して(2009年製作の映画)
5.0
2009年の89分のフランス映画。原題は「LA VOIE DU CHAT」、英語題は「THE CAT WAY」でともに「猫の道」の意味。私は、猫好きであるが、基本的に自由な猫が好きであり、本作は大いに共感できるところ。映画の冒頭はアニメで、語り手の女性が消えた飼い猫のクロを鏡の中に追って、場所と時間を超えていくというもの。そして、語り手と共に、視聴者は猫が関わる様々な社会問題(この部分は実写でインタビューを中心としたドキュメンタリー)を目にしていく。扱われいる問題は多様で、猫が関与するということ以外には一貫性はないが、どれひとつをとっても重要かつユニーク。
扱われている題材の半分ほどは日本のもの。水俣病の問題では、事件当時の水銀中毒で麻痺になった猫の映像から、科学者、水銀により脳に障害を被った患者さんのインタビューなどを紹介する。水俣病は、海への水銀の垂れ流しから、汚染された魚を食べた猫がまず発症した公害。
他に日本で取り上げられている話題は、夏目漱石の「吾輩は猫である」、和歌山の駅長としてマスコットになって人気を博したタマ、本来は殺処分になる野良猫の世話をすることで保護するホームレスの人など。猫用の服など売っている店の映像は猫に服を着せることに一見批判的ではあるが、店員のインタビューでは、飼い主は、短い間の写真撮影のみに猫に服などを着せると穏当な発言をしておりバランスはとれている。日本の猫カフェでは、猫は去勢されておとなしくなっており、猫本来の自由で反抗的なものが失われている状況が描かれる。この場面では、これが猫にとって幸せかと、当然、視聴者は思うところである。ところが、ここでインタビューされた客の一人の日本人男性は、猫として生まれ変わりたいかという質問に、「生死がかかるような野良猫にはなりたくない、エサに不自由しない飼い猫なら」と答えている。つまり、この男性にとって、猫カフェの猫の生活が、彼の理想の生活(自由が束縛されても安定を望むといった)なのであり、こうした人からみれば猫カフェの猫ほど幸せな存在はいないことになる。ここでも対照的な価値観を紹介しており、何が正しいのかについての判断は視聴者に委ねられている。
猫カフェの映像の前に紹介されているのが、米ミネソタ州で宿泊客をもてなす猫で、オーナーは猫を客に選ばせて一晩過ごさせて、客が癒されている状況を「売春宿」にたとえている。おとなしい猫ほど歓迎されるわけだが、客は数ある猫の写真から、好みの猫を選んで一晩を過ごすことになり、こうした点では奴隷のように拘束される売春宿と変わりはない。この後で、映画では、日本の猫カフェで去勢が行われて従順になっている猫が紹介されるので、猫カフェの猫が顧客に都合に合わせた性奴隷のような存在ではないかと考えさせられる。
猫にカメラをつけて、飼い猫がどこを一日動いているかを突き止めるCatCamの紹介では、人間社会が既にカメラで監視されているイギリスの実態を紹介している。ちなみに、イギリスの監視社会の実態については、2014年のドキュメンタリー映画「シチズンフォー スノーデンの暴露」などでも描かれている。
本映画では、猫と人間のポジティブな関係も紹介されており、米ロードアイランド州で認知症患者の最期をみとる介添えネコ・オスカーが紹介。また、歴史的に、鉄道で駅を鼠などの被害から守るために飼われていた猫の話などは、人間のパートナーとしての自由な猫の姿である。
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