荒野の狼

アフガン零年の荒野の狼のレビュー・感想・評価

アフガン零年(2003年製作の映画)
4.0
『アフガン零年』は、2003年製作のアフガニスタン、日本(NHK)、アイルランド、イラン、オランダ合作の82分の映画で、本作の様なメッセージ性の高い作品がNHKが共同制作に加わっており、日本の国際社会の一員として重要。タリバン政権下の女性差別と恐怖が描かれているが、残酷シーンはなく全年齢に勧められる内容となっている。アフガンの近年の歴史を題材にした映画は少ないが、イタリア・ソ連の合作映画「レッド・ストーム/アフガン侵攻」はアフガン紛争のソ連撤退直前の戦闘を題材。「君のためなら千回でも」はアフガン紛争からタリバン政権下までの長い期間を題材とするが、石打ちの刑で投石による処刑シーンがある(本作では投石のシーンはない)。「チャーリー・ウィルソンズ・ウォー」はアフガン紛争にアメリカがCIAを介して介入し、ソ連の撤退が題材だが、オリジナルの脚本にあった9/11を描いたラストシーンは削除された。
原題の「Osama オサマ」は、本作の主人公の少女が少年に偽装するときに、もっとも恐ろしい男(オサマ・ビン・ラデン)の名前を名乗ることで身を守ろうとしたことに由来すると特典映像で監督は答えている。また、監督は本作の結末は、当初は虹を背景に明るい未来を感じさせるものにしたのだが、完成作品では2003年当時(タリバン政権は2001年に崩壊)、真に明るい未来を予見できるような現状になっていないため、敢えて虹のシーンをカットしたとしている。結果として、映画完成当時としては、本作はタリバン政権下の不幸を忘れず記録として残しておき、復興の道にはまだステップがあるというメッセージを発信することに成功した。
しかし、映画としては、作中で何度か、虹と希望についての伏線が張られているシーンはそのまま残されたため、伏線となるシーンが意味の薄いものとなり、完成度が低い作品となってしまった。歴史的には2021年にタリバーンは政権を奪還し、女性はヒジャブの着用が義務化され(本作では、タリバンが最良とするヒジャブである全身を覆うブルカを女性は着用している)、女子教育は中止された。すなわち、現在では、本作の内容はリアルタイムの問題となってしまい、救いようのない結末の意味合いは異なるものとなった。本来、撮影されていた虹のシーンを、せめてDVDの特典映像として残すことで、現在のアフガニスタンの女性や、視聴者に未来の希望を残すという形をとるべきではなかったかと考える。なお、監督はインタビューで、アフガン政府の後ろ盾をソ連がしていた時代に、ソ連の奨学制度で6年間モスクワで映画を勉強できたと語っており(DVD付属の小冊子にも記載p45)、ソ連のアフガン政策において知られていないポジティブな面とは言える。
本作の主演の少女(素人を抜擢)は、韓国の映画祭に頭部を露出したことが報道されてから、殺害の脅迫にさらされ、フランスに潜んで生活することになってしまった。この状況は、アフガニスタン映画「君のためなら千回でも」に主演した二人の少年(素人を抜擢)が、国内での脅迫により海外に逃亡せざるを得なかったものと同様である。本作に出演することで人生が変わってしまった少女のことを考えると、こうした映画のキャスティングには、現地の市民・俳優ではなく、(本国で脅迫される危険のない)より安全な外国に住む役者を使うのが適切である。
私は63ページの小冊子が付属したDVDを購入したが、映画だけでなくアフガンの歴史的背景の情報も含まれており有用。たとえばブルカがアフガニスタンに現れた歴史は19世紀には存在していたが古いものではなく、19世紀に二度にわたる戦争相手のイギリスが「インドからブルカを持ち込んだ」とする説も紹介されているp37.また、ヒジャーブは都会で生まれた現象であり、農村部の伝統的な女性は、自分の村を出て都会に行く場合にのみ、ヒジャーブを身につけていたp39.すなわち、現在、タリバン政権が義務化している制度は、イスラムの長い伝統に根差したものではないこととなり興味深い。
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