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デモンズ’95のvizilakeのレビュー・感想・評価

デモンズ’95(1994年製作の映画)
5.0
芸術性とユーモアが頂点に達したブラックコメディホラーの大傑作である。。
世間で笑いの一種として使われる「シュール」と言う言葉が好きになれない。。
シュールの定義とは、、
本人達にとっての日常が客観的に見て非日常的に感じられる。。
、、と僕は解釈をしている。。
世間で言うシュールは笑いは大半がベタなのだ。。
『デモンズ95』のギャグだって大半ベタだ。。
決して悪い分けではない。。
分かり易い方が簡単に楽しめるのだ。。
しかし、この映画に徹底的にシュールな点がある。。
主人公 デラモルテの日常とその捉え方だ。。
昼間に墓守の仕事をしている彼は、夜中に蘇るゾンビ達の頭を銃でぶち抜く残業を泊まり込み且つ無賃で行っている。。
どんなにぶっ飛んだ日常でも延々と続けば、つまらない日常に変わるのだ。。
恐怖心もなく淡々とゾンビを殺す日々。。
『デモンズ95』の最大のポイントはこの日常にある。。 
人間はどんな状況でも慣れる。。
そして、退屈が一番耐えられなくなる。。
『デモンズ95』の退廃的なムードは決してゾンビ映画故のものではない。。
デラモルテの退屈な日常を退廃的な映像美で表現しているのだ。。
全編通して青を基調とした映像は虚しく冷たいが幻想的で唯一無二の美しい世界観を創り上げている。。
そして、汚らしい汁まみれの残酷描写が素晴らしく愉快なのだ。。
そして、脚本が最高に面白い。。
後半にかけて作風すら変わってしまう展開は天晴れ。。
支離滅裂の手前で観客を弄ぶような監督のユーモアが素晴らし過ぎるのだ。。
そんな芸術性とユーモアに特化した映画ながら、、
実はこの映画は深い。。
シュールな日常を描いたこの作品をさらに斜に構えて鑑賞するとメッセージは実は真っ当なのだ。。
自分が変わっても自分の環境は変えられない。。
人は相手に無関心な時や愛する時に行動が大胆になる。。
その意味を最高の映画体験の後に余韻として考えるのだ。。
嗚呼、、映画に満たされた。。
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