ninjiro

異人たちとの夏のninjiroのレビュー・感想・評価

異人たちとの夏(1988年製作の映画)
3.2
異人たちとの夏は暮れゆく


四十絡みの脚本家・原田は、業界ではそれなりの扱いを受ける立場にまではなったが、家庭や他人の心の機微を顧みないその性格からか、結婚に失敗し一人暮らし、仕事場でも協調せず我を通すばかり、もはやドツボに陥っていた。
そんな折、ふと生まれ育った浅草に足を運んだ原田は、父によく似た男に出くわし、男に促されるままに古いアパートへ赴くと、そこには母にそっくりな女が。
江戸っ子ならではの気風の良さ、頑固だが愛情あふれる男。少女のように天真爛漫で、その笑顔には常に優しさが滲む女。まさに原田のよく知る父と母そのもの。
唖然としながらも激しい郷愁に囚われなすがままの原田。しかし彼らは一体何者なのか?
原田の両親はとうの昔、彼が12歳の頃に揃って事故で亡くなったはずなのに。

浅草の町が素敵だ。
日本の都市部が失いつつある風景を残す町。
そしてその浅草が失ってしまった情景を慈しむ様に再現し、残した映画。
ふわりと、まだ軽やかだった夏の夕暮れの暑さや心地良く湿った匂いがその中ではいつ迄も浮遊している。


いつまでもそばにいられたなら。

私はあなたの、あなたは私の、其々そばに居たいと思って一つになって暮らす。
でも、居なくなったら嫌だな、居なくなったらどうなってしまうんだろう、お互い時々そんなことを考えて、また急に愛おしくなったり、胸が苦しくなって抱き締めたくなったり。

いつまでもそばにいたい。
でもそれは叶わない願いだから私たちは、
夏の夜、異人たちの魂に一時の火を灯す。

いい歳をして、父や母の年齢を超えても、その子として共に過ごすはずだった喪われた時間への郷愁は止まない。
しかし何事も一つ所にはとどまらない。
全ての魂は、在るべき場所へ還っていく。
己がものも、その例外ではない。
すがっても、泣き噦っても、もう二度と出逢えない温もり。

いつまでもそばにいたい。
そう思える人がいて、その人も同じ気持ちだったこと。
そしてその気持ちを別の誰かに繋ぐ様に日々を生きる。
きっとそれだけで構わないんだろう。

でも、もしも、もう一度だけあなたの声が聴けたなら。
そんな一夜の夢の様なファンタジー。


劇中劇でも照れ隠しの様に差し込まれるが、プッチーニは少しこの作品でも大袈裟で、場面によっては反則。しかし浅草の町の場面で流れる哀愁漂う曲はとても素晴らしい。
勿論大林印のド滑りホラー要素も忘れちゃいけません。
ninjiro

ninjiro