ミーハー女子大生

シャッター アイランドのミーハー女子大生のネタバレレビュー・内容・結末

シャッター アイランド(2009年製作の映画)
4.5

このレビューはネタバレを含みます

こんな記事を読んだことがあります。

辛い気持ちのときにあたかも楽しいように
ふるまったら楽しくなった

微笑みながら映画を観るという実験で、その観客の大半がその映画を好意的に解釈した

脳っていうのは騙されやすいようですね。

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まず、この映画には明確な答えは存在しないと思います。
裏設定に対するヒントだけ出して、あえて複数通りに解釈できるように作られた映画だと思います。
これだけ複数の解釈を一つの作品に込めるその脚本。
私は素晴らしいと思います。

「脳は自分の都合よく物事を解釈する」

この事実に沿って自分の都合のいいように複数の解釈のうち一つを選択していくよう誘導する映画であると思います。
だったらそれを十分に利用させて頂いて思いっきり自分の都合のいいように私は解釈させて頂こうと思います。

私の解釈は信条の一つでもある「映画から学ぶ」の視点に立ったものです。
もちろんこの解釈にも穴はあると思います。
ただ私としてはこれを読まれた方の新しい解釈の手助けになれれば幸いです。

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戦争でトラウマを負ったレディス(レオナルド・ディカプリオ)は帰還後に保安官として生活していた。
戦争でのトラウマは深く彼は酒びたりで家庭をかえりみない生活をしていた。
そのような夫の態度に妻は精神を病み我が子を手にかける。
正気と幻想のはざまを彷徨う妻が、正気になったとき自分を殺してほしいと頼まれたレディスは妻に手をかけてしまう。

そんな妻と自分のしたこと、戦争でのトラウマが引き金になり、彼は現実逃避として虚構の世界に逃げ込むようになる。

・自分はテディと名乗り
・妻がアパートの管理人(レディス)の放火による火事で亡くなったことにして
・子どもをいなかったこととした

妻を手にかけたことで刑務所に服役していたレディスは精神病で「シャッターアイランド」へ送られる。
そこではロボトミー手術推進派と否定派が存在していて、ロボトミーなしでレディスの妄想が治るかどうかの実験が始まる。
一回現実を認めさせることに成功するがすぐ元に戻ってしまう。

そこでこれをロボトミー否定派の最後のチャンスと位置付けて、彼の語る「現実と妄想の入り混じる世界」を現実のものとする実験を開始する。
ここでが本編が開始する。
そして最後にレディスは現実を認めることに成功する。

しかし彼は「戦争での暴力」「妻が子にした暴力」「自分が妻にした暴力」に加えて
「自分を正当化するために作られた妄想」が入り混じる世界で偽レディスを殺そうとし、院長を殺そうとした。
自分の抱える狂気と暴力に完全に辟易したレディス。

「モンスターとして生きるか、善人として死ぬか」

「狂気と暴力入り混じる自分として生きるか、
 ロボトミー手術を受け何も感じない人間として自分を抹殺するか」

彼は後者を選び、彼の抱える狂気と暴力を封じ込めることとした。
そして彼は灯台に消えていった。

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人は自分が悪いことをあるがまま認められず
事実を正当化してしまうことがある生き物。
この映画を深く観れば観るほど自分の脳の深いところを刺激されるような悍ましさがありました。

自分はレディスのようになっていないか?
自分の非を認められずに自分を欺いてないか?

脳は騙されやすいから自分を欺いていることすら気付かない。

シャッターアイランドは外界との連絡が断たれた孤島。
そこで繰り広げられるテディの主観のみで行われる捜査。
これはあるものに似ていると思います。

…人間の脳に。

シャッターアイランドは脳内で、テディは脳内信号とすれば、現実と妄想が入り混じったこの世界は脳の中の出来事なんじゃないか
という考え方もできると思います。

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狂気と暴力はもちろん誰の心でも多かれ少なかれあるものです。
しかし、平和と温厚さも誰の心にも存在すると思います。
今の日本が平和だからこそこんなことが言えるのかもしれませんが。

私が最後に学んだことは、シンプルかつ難易度が高く、しかも重大なことでした。

「自分を正当化していないか?と自問しながら人として一番大切なことを貫ける人間でありたい」

生きる上での永遠のテーマとなりそうです。

長文最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

ストーリー 5
演出 4
音楽 4
印象 4
独創性 5
関心度 5
総合 4.5