俺の(リアルタイム~新作での)マックイーン・映画館デビューは“遺作”である『ハンター』だった。(なんと!俺はジョン・ウェインの遺作『ラスト・シューティスト』にも間に合っている!)
『ブリット』や『タワーリングインフェルノ』『パピヨン』『ゲッタウェイ』etc…はガキの頃テレビで観ていた。
この人の凄いところは“ある男がひとり(Being there)”
ある時は消防士であったり、兵士であったり、囚人であったり犯罪者であったり…。
キャラクターに厚みと言うか、膨らみを持たせるべく背景の説明が殆どない。
そんな付加的な部分が、何かの伏線として、より応用の利くドラマツルギーの選択肢が増えるであろうとも…彼は、銀幕に登場した瞬間から今やるべきことのみを「やる」何も纏ってない裸の漢なのだ。
そこがハードボイルドとは趣が違う。
センチメンタルな、しがらみがないのである。
『ハンター』はその点、まるで違っていた。
時代遅れの、賞金稼ぎを生業にしつつ、身重の(彼自身結婚に踏切れない)彼女を抱えて、人生の折り返し地点に立たされ「悩む」男だ。
「あなたは古いモノばかりにしか興味がないのね?」
結婚を願う女を尻目に、コレクションであるヴィンテージのブリキのオモチャの手入れの手を止めることなく…
「新しいモノにろくなものはない。」
…それは良くも悪くも古きアメリカそのものの空気を体現した男にしか吐けない、武骨でリアルな言葉だ。
…ラストは、本当に泣いてしまう。
産気付いた彼女を車に乗せ、必死にラマーズ式呼吸法「ひっひっほー」を傍らで同じように繰り返すマックイーン。
車が病院に到着して、降りたと同時に大の字に失神してしまうマックイーン。
車の中で産まれた新生児を時限爆弾のように抱えるマックイーン。
恐々、覗きこむと赤ちゃん、くしゃみをひとつ…つられてマックイーンもくしゃみをひとつ。
そしてこちらを振り返る。
…新しい時代の善し悪しは、新しい時代の担い手が決めることだ。
吹っ切れた愛すべきマックイーンが…(無邪気に!!!)笑う。
その撮影、2年後に彼は肺がんで亡くなる。
撮影時、まだ50才にもなっていなかっただろう。
ただ登場するだけでスクリーンが別の色を発し、頭のてっぺんから爪先に至る、一挙手一投足からもはや目の離せない、そんな役者は、あれから30数年来、出会ってない。