塚本

サスペリアの塚本のレビュー・感想・評価

サスペリア(2018年製作の映画)
2.5
元々俺は、映画を観始めた頃からダリオ・アルジェントが極彩色で魅せる、現代版グランギニョルが大好きでした。アルジェントの前にマリオ・バーバという偉大なジャーロの先達がいらっしゃるのですが、やはり我々の世代はアルジェントになってしまいます。
「サスペリア」は彼の代表作。俺自身もかなり思い入れがある作品です。
そんな「サスペリア」のリメイク。
今年の1月に公開されたんですが、近場の上映館ではやってなく、止む無くソフト化されるのを待っておりました。
その前に、別冊映画秘宝サスペリア マガジン (洋泉社MOOK 別冊映画秘宝)を購入して、ちまちま読んで糊口をしのいでおったのですが、監督のルカ・グァダニーノのインタビューや、うるさ型の論客のレビューを読むうちに、これは所謂「厄介なヤツ」だそ、と。
このムック本を読んで分かったのは本作が純然たるアート作品であること…歴史、政治、宗教などの知識が膨大な情報量として盛り込まれている、ということ。

そっちがそう来るんなら、こちらとしても準備して鑑賞に臨もうじゃないか。。と、監督が本作を制作する上で参照したとインタビューで取り上げている本(上の写真)をAmazonで取り寄せて、とりあえず読んでみました。

そして、ネタバレ覚悟で「サスペリア」に纏わるブログを彷徨い歩きました。もちろん町山氏の有料音声ファイルも何度も聴きました。

以下の感想は、それを踏まえたモノとしてご了承下されば幸いです。

…そもそも“サスペリア”という言葉の意味ですが、これは19世紀のイギリス作家トマス・ド・クインシーが書いた「深き淵よりの嘆息-阿片常用者の告白 続篇」から引用された言葉なんです。
阿片でラリった作者が見た夢の中で、「涙の女神」「闇の女神」「ため息の女神」の3人の女神が登場するんですが、「ため息の女神」が「サスペリオルム」…つまり、元祖「サスペリア」のアルジェントも、ここから引っ張って来ているんです。
因みにアルジェントは、「インフェルノ」で闇の女神を、「テルザ・最後の魔女」で涙の女神を作り、「サスペリア」を含めて“魔女3部作”とされています。

…冒頭、いきなり1977年9月5日、西ドイツ経営者連盟会長ハンス=マルティン・シュライヤーが誘拐された事件の報道から始まります。
これはドイツ赤軍の創設者、アンドレアス・バーダーとウルリケ・マインホフの信奉者によって結成された、「バーダー・マインホフ・グルッペ」が、ドイツの経済界のトップに立っているシュライヤーが元々ナチスのSSだったことへの制裁と、獄中の赤軍メンバーの釈放を目的としたものでした。
そして10月13日、ルフトハンザ航空181便ハイジャック事件を起こすが、ドイツの対テロ特殊部隊GSG_9に急襲され、、結果、機長とシュライヤーは殺害されて事件は終わりました。
GSG_9は、その後も次々と容赦なく西軍派を狩り出しては、熾烈な制裁を加えていきます。
まるで共産主義者を抹殺したナチスのように。
「第三帝国の言語」には細かな事例を挙げて、戦後のドイツにおける「ナチス的思考」の残留が書かれているんですね。
そんな反ナチとして登場したのがドイツ赤軍、それを殲滅したのがGSG_9。
どっちもやってることはナチ的です。

ここで映画に戻って。。
アルジェント版ではジェシカ・ハーパーが演じた主人公のスージー(ダコタ・ジョンソン)の出自が明かされます。
彼女はオハイオ州に生まれ育ち「メノナイツ」というプロテスタントの宗派の家系を持っていることが説明されます。
メノナイツ発祥は15世紀の宗教革命期まで遡り、ドイツで活躍したメノ・シモンズによるプロテスタントの1宗派で、ここからアーミッシュが分派していきます。規律はアーミッシュよりも緩く車も電気もOKで、リベラルな感じ。
メノナイツで一番の著名人はアイゼンハワー大統領です。
彼は名前からも分かる通りドイツ系です。
彼は連合国遠征軍最高司令官としてナチスからヨーロッパを解放しました。アメリカからドイツに「戻って」人民を解放したんです。
スージーもオハイオからベルリンに「戻って」来たのです。

スージーはベルリンに着くや否や、名門の誉れ高いモダン・ダンス・カンパニーに飛び込みで入門します。
アルジェント版ではバレイだったのが、ここではモダン・ダンス。
モダン・ダンスはドイツがワイマール期にマリー・ヴィグマンによって提唱されたダンスです。
後のピナ・バウシュ、マーサ・グレアムなどが引き継ぎ、日本でも暗黒舞踏として大野一雄さんがヴィグマンの教えを直接受けて、土方巽さん、白虎社、山海塾などに繋がっていきます。

モダン・ダンスはバレイとは異なり、土着的でパーカッシブなそれは、ギンズブルグが書いてあるところの農耕の儀式そのものなんです。
ベナンダンティとは夢の中で出てくる…悪い精霊と闘う、良い精霊のことです。
悪い精霊とは、農耕を妨げる厄災の象徴です。
ギンズブルグは「魔女とは古代から全世界に在った、豊穣の儀式をする~大地や自然の精霊を自分の身体に取り憑かせる~巫女」だった、と書いています。
そして、それは女性に限る、とも。
「サスペリア」の中で、スージーがジャンプの練習をする際、マダム・ブランから“力強さ”を強調されます。
これは大地の力を吸い上げる、ベナンダンティのダンスが元なんですね。
分かりやすい例では「となりのトトロ」でサツキとメイが木ノ実を植えた庭をぐるぐる周りながら踊ってた、アレです。

そして、「新しい」宗教であるキリスト教はそれまでに在った土着の神を邪神(悪魔)と呼び、巫女を魔女として弾圧したんですね。

ナチスも「ダンスは明るく快活であるべき」というゲッペルスによって、モダン・ダンスは反美学的、頽廃的、グロテスクとレッテルを貼られ、1942年に「マリー・ヴィグマン舞踏学校」は閉鎖させられます。

映画にもどりますが。。

果たして「サスペリア」における魔女とは何なのか。

実は最初に書いたトマス・ド・クインシーの「深き淵よりの嘆息」での「ため息の女神」は魔女だ、とは一言も書いていないんです。
『彼女は除け者たちの見舞人~ユダヤ人や古代ローマのガレー船の漕ぎ手(奴隷)政治犯たちの後ろ盾』だと、書いてあるんです。
つまりキリスト教や国が守ってくれなかったマイノリティの守護者なんです。

…この作品にはベルリンの壁が何度も映り出されます。
ダンス・スクールも道を挟んですぐ目の前が壁です。
ベルリンの壁が象徴するもの…それはこの作品のテーマのひとつ、分断です。
キリスト教と反キリスト、ナチスとユダヤ人、国家権力とドイツ赤軍。。そしてマダム・マルコスとマダム・ブラン。
脚本を書いたデビッド・カイガニックは「魔女たちが、ちゃんと機能していれば、世界は変わっていただろう。」とインタビューで語っています。
エンドクレジットでかかる、トム・ヨークの歌「サスペリウム」の歌詞~『今、この壁の内側で生活を送り続けている間は何も変わらない…母は私を傍らに置いておこうとするけど、そこに平和な明日などは無い…』

母とはマルコスのことです。マルコスと彼女を支持する派閥は、世の中を変える力を持ちながら、ただ傍観者として満足する~「ベルリン・天使の詩」に於ける天使(spectator)~存在なんです。
一方、ブラン派は自ら「人民」という、とても政治的な意味を持つダンスの演目を上演しようと奮闘する…“外に出ようとする”存在なんです。

そして、この物語は強大な力を持ったスージーを、マルコス派とブラン派が奪い合う話なんですね。
スージーの夢の中で、マルコスと闘うシーンがあります。
これは、先に述べたベナンダンティ….悪い精霊と闘う図式です。

エンドクレジットの後…悪い精霊(マルコスとその派閥)を粛正したスージーが、最後に触れるもの…ベルリンの壁です。
spectator(傍観者)の立場を葬り、世界の“分断”に立ち向かうべく、彼女はまず最初に、壁に彼女の“力”を注ぎます。
あと十数年後には、この壁が無くなるように、と。




※はっきり言って作品自体は退屈で、それを弄くり回す事の方が楽しかったです。
塚本

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