塚本

トイ・ストーリー4の塚本のレビュー・感想・評価

トイ・ストーリー4(2019年製作の映画)
2.5
「トイ・ストーリー」シリーズはピクサーのクリエイター達自身(家族を含む)の、心身の成長をそのまま投影させて見せた人間の発達についての側面を持った物語だとも言えます。
その成長プロセスというものが、心理学的に実に体系化しやすいモデルとして、描かれているわけで、1~3までのレビューを書くときに俺はユング心理学でもってアプローチしてしまいました。

心理学とは基本、「人間」の心を扱う学問です。

そうです、ピクサーのクリエイター達は、おもちゃを自我を持った人間として物語を構築していったわけですね。

。。。心理学者ドナルド・E・スーパーの「ライフステージ理論」というものがあります。

スーパーはライフステージを5段階の自己概念(自分がどのような人間であるか、という自己認識)の変化を5段階に分けて考えています。

①・成長段階
…自分がどういう人間であるかということを知る。職業的世界に対する積極的な態度を養い、また働くことについての意味を深める。

②・探索段階
…職業についての希望を形作り、実践を始める。実践を通じて、現在の職業が自分の生涯にわたるものになるかどうかを考える。

③・確立段階
…職業への方向付けを確定し、その職業での自己の確立を図る。

④・維持段階
…達成した地位やその有利性を保持する。

⑤・下降段階(60歳以降)
….諸活動の減退、退職、セカンドライフを楽しむ。

これで見てみると、「1」はバズの成長段階、探索段階の物語だとも言えます。

「2」ではウッディの中年クライシスを伴った、自己の確立、「3」は、おもちゃという仕事を保持し続けようとする、維持段階の話です。

…と、ここまでは全て「仕事」という要素から自己の変遷を捉えていることが分かります。


おもちゃの仕事とは何なんでしょう。

もちろん子供に遊んでもらうことです。

ウッディのセリフにも「仕事(job)」という言葉が多く見られます。

仕事とは…社会的欲求のかたちです。

。。。またまた別の心理学マズローによると、人間の欲求階層には5層あると考えられています。


「4」でのウッディは、所属と愛の欲求が、あまり満たされていない状況にあることが分かります。

子供とおもちゃによる、蜜月の保証…そんなもんはただの幻想です。
ずっと「トイ・ストーリー」シリーズを観てきて、俺が一番違和感を感じたのはそこなんです。

子供はそんなにおもちゃを大切に扱わんです。
泣いて叫んで買って貰ったおもちゃですらすぐに飽きて、放置、或いは行方不明…なんてザラです。

ただ「特別な」おもちゃは別です。
『ウッディは幼い頃に亡くしたパパの形見』だと、ピクサーのチーフ・クリエイティブ・オフィサーであるピート・ドクターは語っております。
故にウッディは「特別なおもちゃ」以上に、アンディの父親という役割も持っていたんです。

アンディの下、所属と愛の欲求と自己承認の欲求を十分に満たされたまま、実にウェルメイドなかたちの物語として「3」は幕を閉じます。

…そして「4」。

「特別なおもちゃ」でも「父親」でもなくなったウッディ。

彼には「普通のおもちゃ」としての宿命が訪れます。


新しい持ち主であるボニーの父親たろうと奮闘する様は過去の栄光に囚われている感じがして滑稽でもあります。
フォーキーの世話を焼くのも、もはや所属と愛情の欲求を脅かされたウッディの最後のプライド、自己承認の欲求を満たすための行動と言えます。
ボーに言われた『あなたは自分の為にやっているのよ』…の通りです。

と、ここまでウッディは自分の「仕事」を生活の核に据えて考え、行動しております。
そう、「1」から「3」までは、彼はおもちゃという仕事から逸脱していないんです。

…ところでウッディは今、現時点で何歳くらいなんでしょうか。

ウッディは1950年代に作られたアンティークのおもちゃです。
故に実際的な年齢は60歳代です。
ここに「トイ・ストーリー」の「嘘」があるんですが、本当は60年も現役でおもちゃしてたウッディは経年劣化でボロボロになっている筈なんですね。
トイ・ストーリー内では「嘘」のビジュアルを吐き続ける代わりに、ライフステージの変化で彼の年齢を担保する試みをちゃんと行ったんです。

先に述べた、スーパーのライフステージ5段階での「下降段階」。

俺はここだけ(60歳以降)と註釈を加えました。

諸活動の減退、退職、セカンドライフを楽しむ。。。

劇中に出てくるアンティークショップの店名が「セカンドチャンス」というのも象徴的です。

…「トイ・ストーリー4」をご覧になった方達の評価は、ほぼ半々に分かれています。

ウッディがおもちゃであることを辞めてしまったことに違和感を持つ人、ウッディの新しい門出を祝う人。。

ここら辺は非常に難しいところだと俺も思います。

ウッディがおもちゃを辞める、ということは他の、不満を抱えたおもちゃの反乱もあり得るし…そうなったら自我を持つものとしての革命もあり得るんじゃないか。

「猿の惑星」のように。

ただ俺が思うに、「トイ・ストーリー」という物語で、おもちゃに自我を与えてしまったクリエイターの罪、というものが、そもそもあるんじゃないか、と思うんです。

自我を持つ者として最後までその成長を描いていくのはクリエイターの責任なんじゃないかな、と。

そういう意味で、今回のウッディのライフステージとなるのは「自己実現」しかないのだと思うわけです。(マズローのピラミッドの頂点も「自己実現の欲求です。)
「トイ・ストーリー」は、ウッディを我々がきちんと看取るまで続いていくことと思われます。
塚本

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