てっちゃん

地獄の黙示録のてっちゃんのレビュー・感想・評価

地獄の黙示録(1979年製作の映画)
3.9
戦争映画の金字塔である、こちらを鑑賞。

すごいぞ、すごいぞという声は聞いていたし、町山智弘さんの解説動画も鑑賞後に観て、ああこういうことだったんだとか、とんでもない裏話を知れて、本作がいろんな意味でやばい映画であることを知りました。
そういった映画を観ているだけでは、絶対に分からないような裏話だったり、制作秘話を知るっていうのは、知らなくても良いけど、知るとより映画が"面白くなる"んだなと再認識。
だからこそ映画は面白い。

本作は、前半と後半とで分けることができる。
前半はウィラード達がカーツ大佐を殺しに旅する編、後半はカーツ大佐王国に辿り着いてから編。

前半パートでは、こんなんよう作ったなってくらいにドッカンドッカンやってます(実際のフィリピン軍を使ったり、実際に森に灯油ぶっかけてナパーム爆弾シーン撮ったり)。
憎きベトコンたちのみが焦点だったのだけど、現地米軍たちは、そんなの崩壊していて女子供関係なくベトナム国民たちを蹂躙していた。
中でも、ギルゴアさんが強烈。
あんな中サーフィンやれ!って正気じゃねえだろ?と思ったけど、本当に言った人がいるとのこと。
劇中で出てくる言葉も、ベトナム戦争時に発言されたものがあるとのこと。
このギルゴアさんが、銃弾飛び交う中、平然と無防備で歩いているあたり、近くで爆発あったとしても見向きもしないところとか、これがカリスマ性なのか?とカリスマ性の新定義もできることでしょう。

後半パートは、本来のシナリオとはだいぶ異なったとのこと(本来は、最後にウィラードとカーツがタッグを組んで敵群衆を相手に戦うという内容だったみたい)。
なんで異なったかの理由が実に笑えるけど、とりあえずは難しいそれっぽい言葉を並べ立てる。
それっぽいことやっているけど、前半部分が盛り上がりすぎてて、後半は失速しているのが、誰が観ても明らか。
それでも、カール大佐王国のつくりこみはすごいし、カーツが”変化した”様というか現地民に取り込まれるあたり、本当に恐ろしいのは本来人間が持っている本能の部分である!という本作のテーマは、やはり強烈としか言えないでしょう。
しかもその見せ方が非常に面白くて、”変化していく”側と、"変化した"側を描いている。

前半と後半でまったく印象が違うものの、ここまで作りこんだのはとんでもないことだし、本当によくやりきったよな、役者さんたちの素であろう本当にきつそうな演技もお見事だし(カーツ大佐のカンペ読んでるよね今!の視線に注目して欲しい)、徐々に人間が”変わって”いく様を、まじまじと撮った傑作であることは間違いないでしょう。

本作に於いて印象的なのは、カーツ大佐を探しに川を遡っていくところ。
川とは流れているものであり、その流れに遡っていくいうことは、時間を遡るにつながる。
川とは命の象徴でもあり、人間そのものでもある。
つまりは、人間本来の姿へと戻っていくということを象徴しているのであろう。
川を遡っていくにあたり、徐々に表面上の人間性が消えていく出来事が起こっていく。
どんどんと閉塞知的な空間へとなっていくあたりも、内面へと潜っているところを現しているのであろう。
カーツ大佐は遡ったことにより”変化”した。
ウィラード一行はどうだろうか。
そういった辺りにも注目してみると、また面白い見方ができるかもしれない。

いろんなバージョンがあるみたいだから、他のも観てみたいな。
てっちゃん

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