てっちゃん

その鼓動に耳をあてよのてっちゃんのレビュー・感想・評価

その鼓動に耳をあてよ(2023年製作の映画)
4.2
昨年、大切で生活の一部になっていた名古屋シネマテークが閉館し、非常にさみしい気持ちで一杯でしたが、ナゴヤキネマ・ノイが同じ場所に誕生するということを知り、心待ちにしておりました。
そしてキネマ・ノイへうきうきとどきどきの両方で向かいました。

中身はほぼ同じですが、部室みたいな受付ではなく、職員室って感じの受付になっており、座席は真新しくなっておりましたが、座席の間隔は変わらずで、これこれ!!と思い、思わず涙腺が緩みます。

私の回はほぼ満席でした。
これからキネマ・ノイが存続していくには、映画館に通う人が多くなくてはいけません。
もちろん会員になりましたので、これからもよろしくお願いしますという気持ちで本作を鑑賞しました。

本作の舞台は名古屋掖済会病院の救命救急センター。
私自身、お世話になったことのない病院ですが、ここの救命救急センターは「断らない救急」をモットーにしております。
そんな名古屋掖済会病院が舞台のドキュメンタリー作品です。
救命救急センターの2人の蜂矢医師と撮影当時は研修医であった櫻木医師を中心として”コロナ禍”の混乱と併せて映し出されていきます。

ちなみに本作パンフですが、とても読み応えがあります。
本作を補完する意味でも役立ちますし、ふと立ち止まって振り返ることもできますし、製作陣側の顔が見ることのできる(柔軟な発想なり考えがないとこのようなドキュメンタリーは作れないですよねと思うことばかり)代物なので、パンフ必須案件かと思います。

本作を観て映像作品として思ったこと。
ナレーションがないからこその集中力と洞察力を求められます。
馴染みすぎているカメラ。
本作は当初テレビシリーズで放映されたときはナレーションがあったよう。
しかし映画作品になるとナレーションをなくしました。
この判断は正しいかと思います。
本作は、前述したとおり"コロナ禍"最中の作品だからです。
よりダイレクトに現場の空気が伝わるし、集中して観ることが必要なのです。
あのとき、この人たちがいたからいまがある!が伝わるのです。

本作を観て感じたこと。
作中でも言われていますが、現代社会が抱えている問題を確認できます。
なぜ救命救急センターでそれを感じた?てお思いでしょう。
当該病院は非常にオープンなのです。
国籍関係ないし、貧富関係なし(未支払いの請求書が山のようにあります)、たらい回しにされた(そうなってしまう現実があった)最後の受け口となっています。
現在の日本が抱えている(こんな国にしてしまった結果であります)問題の縮図となっているのです。
それでも人間が人間たるために医療を受けることは皆平等なはずです。
それはコロナ禍において、より鮮明になったことだと思っています。
それでも溢れてしまうことがある。
そんなときの最後の砦となっているのが、当該病院なのです。

快適には遠い状況でも、プロとして使命感を持って誇りを持って奮闘している方達を見ていると、本当に感謝しかありませんし、もっとこの人たちの待遇をよくするべきだと思います。

救命救急は評価されないと言います。
どんな患者でも受け入れ、そこから先は専門的な分野の医師へ引き継ぐからです。
ただでさえ疲労している現場で、最後の受け口となっているが故に、引き継いだ先がさらにいっぱいいっぱいになってしまうのです。
本来とても重要な立ち位置を確立して然るべきですが、業界内での立ち位置は低いのが現状なようです。

さまざま症状で、さまざま人たちが病気に運び込まれてきます。
耳に虫が入ったかと思ったら巨大な耳垢だった子供、どんぐりが鼻に詰まって取れなくなった子供、OD自殺を図った若者、釘を足に打ちつけた職人、寒さを凌いでやってきたであろうホームレス、、
そういった人たちの救いとなっているのです。

そしてエンディングにとても喜ばしいニュースが発表されます。

当該病院が地域にあるという心強さはもちろんですが、私たちにもできることはあるはずです。
それには行政の力が必要不可欠です。
必要なところに必要な予算を。
一部の人たちが美味しい思いをする腐り切った現状を変えなければいけません。

観賞後、晴れやかな気持ちと感謝の気持ちとキネマ•ノイさんお帰りなさいと思う気持ちでした。
今後ともよろしくお願いします。
てっちゃん

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