一人旅

サクリファイスの一人旅のレビュー・感想・評価

サクリファイス(1986年製作の映画)
4.0
第39回カンヌ国際映画祭審査員特別グランプリ。
アンドレイ・タルコフスキー監督作。

松の木を植える主人公アレクサンデル。彼は妻アデライデと娘マルタ、そして口のきけない息子と共に暮らしている。そんなある日、テレビで核戦争勃発のニュースを聞く。悲劇的終末を予感したアレクサンデルは世界と愛する人々を救うため自分自身を犠牲にすることを誓う・・・。

平穏な日常に突如響き渡る戦闘機の爆音と振動に恐怖を覚える。

タルコフスキーの人類への警鐘なのだろうか。
自然破壊の上に築かれてきた文明。人間の暴虐武人な振る舞いに自然は絶えず犠牲を払ってきた。物質的文明は高度に発達していく一方で、人間の精神的文明はそれに見合わず未熟だ。その結果、文明は悪用され“核”という何もかもを破壊し尽くす兵器をつくり出してしまった。

『次に犠牲を払うべきは人間』
タルコフスキーはそう訴えかけているように思える。

自然が神性を帯びたものとイコール関係にあるとするならば、人間が歴史上行ってきた自然破壊という身勝手な行為は余りにも罪深い。
この映画では、全人類の罪をたった一人の男アレクサンデルが背負い、自分自身の精神を犠牲にすることで救済と赦しを得たのではないだろうか。

アレクサンデルは郵便局員オットーの説得に応じ、魔女呼ばわりされている召使マリアと寝る。召使マリアは聖母マリアと同じ名であることを考えると、生まれてくるのはキリスト。
今まで口のきけなかった息子が最後のシーンで初めて言葉を話すシーン。
その際息子が呟いた「始めに言葉ありき」というセリフ。
調べてみると聖書の中の一節であり「言葉はすなわち神であり、この世界の根源として神が存在する」という意味だそうだ。
個人的な解釈ではあるが上記の意味を踏まえると、行為によって生まれてきた神的存在であるキリスト(救世主)が息子の失われていた言葉となって再びこの世界に降臨し、人類への救済をもたらしたことを意味しているようにも考えられる。
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