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ポチの告白のninjiroのレビュー・感想・評価

ポチの告白(2006年製作の映画)
4.0
業界の中の常識、という名の非常識。

例えばマスコミ、放送、芸能、出版、食品、外食、農水、広告屋、車屋、土建屋、電気屋、銀行、教師、公僕、政治屋、あらゆる業界に於いて、そこにはそれぞれ外部からはタブーとされるような常識がある。

こうした世間と隔絶して自己保全のため一向変わらぬ常識と、時代と共に刻一刻と変わる社会生活者個人の常識との間に生じる埋めようのない乖離は、今日まで様々な形で我々に知らされてきた。

放送業界のやらせ、食肉業界の偽装表示、外食業界の食材使い回し、公共工事受注の談合、年金基金の杜撰な運用、車両燃費のテストデータ偽装等々…。
それらが明るみに出る度、それぞれの内部に居た人間は、きっと同じく思ったことだろう。

知らなければ良かったのに。

こんな「些細」なこと、知らなければ何の問題もなくお互い幸せだったのに…と。

そして、こうも思うかも知れない、
また、別の方法を考えなければ、と。

これは誰にも、どこにも起こり得ることだ。
閉じた社会にあり、そこで培われた「上手くやる方法」。それはすぐに常識となる。
そして、その閉じた社会が全て、という根が真面目な人間ほど、より収まりよくこうした穴に落ち、見事に汚泥にまみれる。

どこにでもある話、しかしそれが、そうした矛盾・誤りを正し、それらを包括すべき国家権力の中にも同じく起こるとするとどうなるか、そして、それは我々の耳に・目に、明らかにされないだけで現実に起こっている、日々欠伸が漏れる程の何でもない慣例として当たり前に行われている、という恐ろしい事実。

それを本作は真摯に提議し、我々は目撃する。

己の身内は誰しもかわいい。
同じ組織に身を置く者は、つまり我が身を理解する者。その外にある者は、我が身を阻害する者。
日々侵食する固定化は、我が身の外全てに対する無関心を呼ぶ。

国家の狭い箱庭世界を占有する力を持つ者にとって、大マスコミは記者クラブという囲いの中で広報の与える餌に群がるただの犬だ。
司法も国家を逸脱した場所では何の力も持たない虚しい建前でしかない。

例えばライブドアを巡る一連の事件の真相。
例えば尼崎連続変死事件の結末の真実。
我々は知らない。知らされない。
これらは、ただそこには踏み入れると二度と還れないような恐ろしく深い闇が広がっているということが、たまたま隠せずはみ出してしまった事案なのかも知れない。

しかし、我々は忘れていく。

大きく広げられた傘の下で暮らす我々。
我々はその下は安寧であるとの基本を疑わない。
確かに安寧であるが、それは我々の見も知らない誰かの体面を保つ為の安寧であるのかも知れない。

例え騙され続けたとしても、
頭を低くしていれば我々は生きていける。
しかしもし、吠えない飼い犬を蔑むならば、
己は確固たる信念を持たなくてはならない。
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