ぴのした

アンダーグラウンドのぴのしたのレビュー・感想・評価

アンダーグラウンド(1995年製作の映画)
4.1
「昔あるところに国があった」。その国の名はユーゴスラビア。ナチスに侵攻され、戦後は社会主義国になり、やがてまた紛争でその姿を消したスラブ民族の集合国家だ。この作品はそんなユーゴスラビアで暮らす人々の人生を面白おかしく、それでいて皮肉がたっぷりに、そして少し儚げに描く。

共産党員であるマルコとクロは、ナチスの侵攻から逃げつつ、地下の隠れ家で仲間とともに暮らしていた。戦争が終わったあと(ユーゴスラビアが社会主義国になった後)マルコは大統領の側近になり、クロは革命のために命を落とした英雄とされていた。しかし、実際はマルコに騙されて、クロをふくめ多くの仲間はずっと地下でまだ戦争が終わっていないと信じきって暮らしていたのである。

扱う題材は重いんだけど、映画全体を通してはすごくハチャメチャなドタバタ喜劇の印象。映画中ずっと登場人物たちは酒を飲んでは暴れ、ケンカして、アヒルやサルが飛び交い、その後ろでブラスバンドがずっとジプシー音楽?をズンチャズンチャしてるみたいな。女優の恋人をさらうために舞台に殴りこんだり、まだ戦争が終わってないと勘違いして戦争映画の撮影に殴りこんだり…。とにかく笑える。

この映画の肝はやっぱり、最後のイヴァンがカメラに向けて話す言葉に尽きると思う。昔あるところに国があった。その国は悲惨な運命を辿ったが、そこにはただ悲惨な運命だけでは語れないたくさんの喜びや楽しさ、悲しみや裏切りがあった。それらを全て語らなくてはユーゴスラビアは語れないし、これからも語っていかなくてはいけない、と。あれだけ楽しんでた登場人物たちの末路も悲劇で終わってしまう。これはやっぱりユーゴスラビアの辿ってきた歴史と民族の悲惨さからは逃れられないということだろう。ラストシーンのドナウ川のような死後の世界で彼らが宴をしながら流されて行くところもユーゴの過去と未来を象徴しているかのよう。

アンダーグラウンド(地下)という意味に込められているのは、ユーゴの共産時代(またはユーゴの歴史そのもの)だと思う。マルコはアンダーグラウンドの住民に嘘をついて騙してきた。これはまさに社会主義時代(で国民を騙してきた?)を経験したユーゴの歴史そのもののミニチュアとも言えるのではないか。ユーゴの歴史、そしてそれを描いたこの映画は総合的に見れば結局悲劇だった。でもそんなアンダーグラウンドの暮らしの中には喜びも楽しみもあった。アンダーグラウンドに込められた意味は、そんな映画全体のメッセージとも絶妙にリンクしている。

あとやっぱりクストリッツァの映画は音楽が印象的だ。これと黒猫白猫しか見てないけれど。これがジプシー音楽というものなのかよく知らないけれど、すごく愉快でゴチャゴチャしてて激しくて耳に残る。映画全体のイメージ、メッセージとのイメージ、あるいはユーゴやスラブ民族のイメージとぴったり重なる。

今年の夏にもクストリッツァの新作が出るらしい。是非劇場に足を運びたい。