ダブルチーズバーガー

きみに読む物語のダブルチーズバーガーのネタバレレビュー・内容・結末

きみに読む物語(2004年製作の映画)
4.4

このレビューはネタバレを含みます

王道ロマンスに見えて、しかし不思議な含蓄に溢れた映画だ。
「ローマの休日」のようであり「ロミオとジュリエット」のようでもあり、ボードレールの詩のようでもある。そして「もののあはれ」を感じる。

まずこの『きみに読む物語』は、人物解像度が非常に高く、そして「観ていて気持ちがいい」というのが特徴だった。

決して良い暮らしをしているとは言えないものの、善良な父親と二人で牧歌的な生活を営み、「自分の気持ち」を何より大切にする好青年、ノア。
富裕層の暮らしをしているものの、厳格な両親の定めたルールや未来に雁字搦めにされている少女、アリー。

この点だけ見ると、テンプレートの身分差恋愛、現実であれば非凡だが映画としては平凡なラブロマンス設定ーーのように見えるが、しかしこの映画は一味違った。

ノアは幼少期に吃音症を患っており、改善のために父親から詩の朗読をさせられていた。それは17歳となっても続いており、ホイットマンの詩を贔屓にしている。

つまりノアにはある程度の「教養」や「情緒」があるのである。マナーはなっていなくとも、身近な人を気にかける心の優しさや、人の気持ちを思い遣る心の余裕がある。
ノアはアリーに一目惚れし、優しく、時に熱く激しく愛を捧げる。「君の好きな物を知りたい」と呟き、アリーが未だかつて認知したことのなかった世界を沢山、見せてゆく。

そしてアリーには、親からの厳しい躾の下に過ごしていたとは思えないほどの感情の豊かさがあった。本当に「ローマの休日」のオードリー・ヘプバーンを彷彿とさせるほどだ。

喧嘩や争いもあったが、ノアの余裕ある優しさと明るさ、アリーの屈託のない笑顔とおてんばが見事に噛み合い、調和していた。
「見ていて安心する」というか、「心地いい」カップルを映画で見られるのは割と稀だと思う。やはり教養は必要である。

しかしそんな平穏も、アリーの両親(主に母親)のせいで脆くも崩れ去る。アリーはハンサムで金持ちのロンと恋に落ち、ノアはそのショックで心を閉ざしてしまう。

......が、「観ていて気持ちがいい」人物描写はアリーとノア以外の人物にも反映されていた。

最初「なんだこの毒親は!?」と思っていた母親も実は......であり、ロンもなんだかんだ言って不用意な発言や無駄な言葉や含みを使わない中々のナイスガイである。

この映画は登場人物がみな善良であるのに、みな人間臭かった。間違いを犯し、怒り、泣き、ぐちゃぐちゃになった感情のあまり狂いそうになることもあった。
その複雑に織り交ぜられた感情と詩的な台詞回しが、この映画にとてつもない奥行きを与えていたように思う。


そして忘れてはならないのが、「もののあはれ」ーーすなわち「侘び寂び」である。

誰よりもたよく激しく愛し合っていたはずのノアとアリー。
しかし映画が始まった時アリーは認知症、ノアも健康状態に問題がありもう長くない状態である。
だが老いさらばえてしまっても、ノアはアリーへの愛を忘れてはいない。アリーにふたたび思い出してもらうために、「戻ってきてもらう」ために、物語の形式にして出会った日のことから話し始める。

姿形が変わっても、内に深く刻まれた本質は変わらない。それが「侘び寂び」である。

当時のままの愛をいまだ保ち続けては忘れられず、叶わぬ願いと知りながら認知症のアリーに接し続け、往年の記念写真を寂しそうに見つめる老人のノアは哀れだろうか、それとも内側から美しく輝いて見えるだろうか。

アリーとノアの愛を最後まで反対し続けたのにも関わらず、結婚から25年経っても初恋の男性を見て涙ぐむアリーの母親。彼女は本当に変わってしまったのだろうか。見た目だけ豪勢に着飾った俗な中年に堕ちてしまったのだろうか。「人に歴史あり」を深く考えさせられる。


ともあれ、私にとって『きみに読む物語』は単なるラブ・ロマンスではなかった。
優れた人物描写と文学的な台詞回しと表現、映画のツボを抑えた見事な伏線回収に、「侘び寂び」を感じる美しさ。

「私も老後はこうなりたい」、「若い頃の思い出を忘れず、素敵な人生を過ごしたい」と観客に強く思わせてくれる、上質なヒューマン・ドラマであった。