ダブルチーズバーガー

マイ・プライベート・アイダホのダブルチーズバーガーのネタバレレビュー・内容・結末

3.9

このレビューはネタバレを含みます

一言では言い表せない哀切と情動と純粋さが入り混じった、美しくも儚い映画だった。
マイクとスコットは見た目の美しさを生かして、男娼をして金を稼ぐ。
スコット(=キアヌ・リーヴス)の家庭はわりと上流階級にあるため、「セックスは金のためだよ」なんて割り切れてしまうが、マイクはそうではない。

マイク(=リヴァー・フェニックス)は自身の生い立ち、生き方に負い目を感じている。恵まれない家庭に生まれつきの持病、恵まれたのは容姿だけ。だからしたくないセックスもキスも前戯も、しなければならない。「金」ではなく「生きる」ために。
そしてそのストレスのたびに持病が発動し、マイクは突然眠ってしまう。まるで悲しみから逃げるように。

マイクは純粋な青年だった。純粋さゆえの弱さがあるからこそ、ドラッグや不正行為の持つ誘惑に耐えきれず、手を出してしまう。
だけど本当はそんな「不安定」ではなく、「安定」を心の底では求めている。
だから唯一の親友であるスコットに「抱かれたい」と思う。好きな人に抱かれて安心したい、もっと好きな人のことを知りたい、と思う。温かな恋情に帰属したいと願う。
「お前が好きだ」「お前にキスしたい」と焚き火のぬくもりに当てられながら呟く。
このシーンは焚き火のぼんやりとした感覚的・物理的な暖かさと、そうではない「精神的なぬくもり」を求めるマイクとの対比構造になっていて、なかなかに詩的なシーンであるだろう。

そしてこのときになってようやく、観客は「マイクの感じるストレスの真の原因」に気がつく。
マイクはスコットが好きだ。スコットに抱かれたい、スコットとキスしたい、と切に願っている。それが禁じられたソドミーな感情であろうとも。
しかし現実はどうだろう。汚いおっさんだとか嫌らしいオバさんだとか見なりだけ整った変態野郎だとか、マイクを抱くのはそんな人間ばかりだ。
理想が美しいと、現実の醜悪さがさらに辛くなる。好きな相手がいるのに、好きではないむしろ嫌いな人間に抱かれ続ける痛み。
マイクが「眠る」のも当たり前だろう。

神や天使によって禁じられた同性愛。
しかし神はマイクに同性愛者としての人生と、「眠る」持病を与えた。
ソドムの豪華で焼き尽くすのではなく、逃避の方法を与えた。それは天使の優しさか、それとも残酷さなのか......。

そして待ち受ける結末は残酷かつ非情で、何も言えなくなる。

脚本はツギハギであるため観る人それぞれの解釈が求められるが、心に残る名作に違いない。
少々退屈な部分もあるが、全てはしっかりと一本の薄い糸で繋がっているので破綻はしていない。荒削りに見えて繊細な良い作品である。