雨男

ディアボロス 悪魔の扉の雨男のネタバレレビュー・内容・結末

ディアボロス 悪魔の扉(1997年製作の映画)
3.8

このレビューはネタバレを含みます

ネトフリで鑑賞。
現代のおとぎ話みたいな感じなのかなと思った。
人間をたぶらかす欲望は姿形を変えながらそこらじゅうに潜んでいる。
主人公ケヴィンは負け知らずのやり手弁護士で、真実がどーであれ勝ちにこだわり、セクハラ教師が有罪と分かって罪悪感に苛まれつつも、結果的に無罪を勝ち取る。
ゲヴィンは「虚栄心」という悪魔にたぶらかされていた。アルパチーノの演じるミルトンは悪魔として描かれていて、それはケヴィンの虚栄心の具現化であり、もう1人の自分だったのではないのか?
ケヴィンが自分の頭を拳銃で撃ち抜くとミルトンの体は炎で包まれ、最終的に天使の様な羽の生えたケヴィンの姿になった。
悪魔から天使の姿になったケヴィンは自分自身との戦いに勝ったということをあらわしているのか?
しかし、目が覚めると最初のセクハラ教師の裁判シーンに戻っており、今回は弁護することを降り結果的に裁判で負ける。
ケヴィンは自分の正しい行為に納得し、妻であるメアリーと帰る途中、1人の記者がケヴィンの行動をヒーローだと称えインタビューをせがむ。最初は拒む様子を見せたケヴィンだが、結果的にヒーローという言葉に惹かれたのか?そのインタビューを受けることにした。ケヴィンとメアリーが去ると、記者の顔がミルトンに変わり「虚栄は私の最も好む罪だ」と言って映画は終わる。 

自分に打ち勝ったかの様に見えたケヴィンであったが、「虚栄心」はまた姿を変えてケヴィンの前に現れたのであった。
めでたしめでたし笑

まあ最初は悪と分かっていながら、のしあがるために勝ちにこだわるという虚栄心だったけど、最後は勝つことよりも善の側に付き、ヒーローとしてのしあがるという虚栄心、同じ虚栄心でもベクトルが違うのが面白いと思った。

善悪なんていうのは見る方向によってコロコロ変わってしまう。
最初と最後で方向性は違えど虚栄心という欲望には変わりない。
その底なしの欲望は切っても切れない、いわば人間の宿命の様なもんなのかね。

なんかtheピーズの底なしって歌を思い出した。

オチとしては夢オチみたいな感じ最初はうーん?と思ったけど、童話的なノリだと考えるとこれはこれでいいのかも。
雨男

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