Yukiko

マイライフ・アズ・ア・ドッグのYukikoのレビュー・感想・評価

4.0
2020年6月28日
『マイライフ・アズ・ア・ドッグ』  1985年スウェーデン制作
監督、ラッセ・ハルストレム。
この監督さんなら『僕のワンダフル・ライフ』が一番好き。
この映画でゴールデンリトリバーに萌え萌えになった。

1950年代のスウェーデン。
イングマル少年は12歳。
父は船乗りで自宅には長く不在。
母は元写真家で今は病気療養中。
兄エリクは弟のイングマルをいじめる悪戯好き。
4人家族プラス愛犬のシッカンがいる。
母の病気が悪化し、病院に入院。
父は連絡がつかず、兄弟は別々に親戚に預けられる。
イングマルは田舎に住む叔父のグンネルの家に預けられ、
そこでボクシング好きな少女サガと出会う。


そのサガがとてもフレッシュでかわいい💛
美少年タイプ。でも女の子。

村人が面白い。
老人は雑誌の下着の写真の文面を、イングマル少年に
読んでくれとせがむ。
いつも屋根の修理をしている叔父さんがいるし。
綱渡りが好きな叔父さんもいて、氷が張った池で泳ぐ
叔父さんもいたり。
ヌードの彫刻をする芸術家叔父さんもいる。

それらちょっと変わった人達を、村人はあたたかい目で
見ているのね。

イングマルとサガの絡みも楽しい。
二人の微かな性への目覚め、子供編って感じで、
ボクシングをしながらクリンチになって、そのまま抱きつき
合って・・・の場面は、この瞬間から二人の心の変化を
感じさせる。

イングマルが、ヌードのお姉さんの裸見たさに、屋根に
上がって落っこちる場面、でも悪びれずに正直に
見たかったと笑顔で語る場面はとても微笑ましい。

エピソードいろいろで、それらが楽しい田舎の村人達。

1983年に出版されたレイダル・イェンソンの小説を映画化。
「My Life as a Dog」・・・犬としての私の人生

愛犬シッカンは、ボーダーテリアかな?
「笑え、シッカン!」

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<ライカについて>  Wikipediaより抜粋
ロシア、シベリアに原産の猟犬。
「ライカ」の意味は「吠える」。

1957年11月3日。 ロシアのカザフスタンからスプートニク2号を打ち上げ。
この宇宙船にはメスの犬のライカ(犬種だが、名前もライカとして記載がある)が乗っていた。

以前まで弾道飛行だったが、今回は軌道を周回する実験。
未来の有人飛行に備えて犬を乗せた。
軌道投入までは順調だったが、その後ロケット本体と衛星の分離に失敗。
スプートニク2号はロケットと結合したまま軌道を周回。
衛星の断熱材も損傷。
ライカに取り付けられたセンサーは、打ち上げ時に脈拍数が
安静時の3倍にまで上昇したことを示した。
熱制御が妨げられ、船内の温度は15℃から41℃に上昇。
その為、ライカは動揺しつつ食事をとっていた。
が、熱制御の問題で異常な高温に晒され、飛行開始の約5~7時間以降、ライカが生きている気配は送られてこなかった。
1日~2日の後死亡したとされる。
通信は11月10日までで途絶える。
打ち上げ後162日後の1958年4月14日に大気圏に再突入、消滅した。

スプートニク2号の為に訓練された10匹以上の犬の中から、
 ・排泄姿勢の問題からメス犬であること。
 ・小型犬、5キログラム。
 ・子供を夢中にさせるような、可愛くて写真写りの良い犬。
 ・ロシア原産種であること。
以上から、ライカが選ばれたようだ。

その後も、13頭の犬をロケットに乗せて打ち上げている。
周回軌道から無事に生還した2頭の犬は、ベルカ、ストレルカは有名。
ストレルカの子犬の1頭は、ジョン・F・ケネディ元アメリカ大統領に贈っているとある。

ライカの船内ストレスと高温で死亡した、それは後々の有人飛行に繋がったとも言える。
(1961年ガガーリンによる人類初の有人飛行)
だけど、ソ連はアメリカに対して皮肉なことをするね。

「宇宙飛行ではいつものことだが、政治的=技術的な二重の要素が考慮された」と記載がある。
Yukiko

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