ninjiro

ハリーとトントのninjiroのレビュー・感想・評価

ハリーとトント(1974年製作の映画)
4.1
何かから逃げている訳ではなく、
ただ、出来るだけ何処か遠くへ。

のんびりと大事なく、ほのかに明るいタッチの中に控え目ながらも確実に、死の匂いは漂っている。
ハリーは愛妻を亡くし、育てた3人の子ども達もそれぞれ独立して遠く離れ、今はたった一匹老猫トントをそばに置き、ニューヨークの片隅、古いアパートに暮らしていた。
その身は老いて、亡き妻や子ども達と暮らした想い出を胸に今は只穏やかに暮らす事だけを望むばかりの生活であったが、市の区画整理事業のためにアパートの立ち退きを余儀なくされ、止むを得ずその身を寄せる場所を探してトントと共に広いアメリカを彷徨う。

川の流れは悠久にして、その実その流れは川底を削り、同じ水面を湛えて見える川は一時として同じ形を持たない。
心や暮らしは小さく小さく削られて、いつかのあの時と全く別の心を携えて別の暮らしを生きている自分に気付く。
人は誰もが死んでしまう、それは初めに約束されていて、大切な人は自分の周りから少しずつ居なくなってしまう。
決め事や常識は産まれては死んで、取り囲む人々はその時々に当てはまる当たり前の顔を作って捨ててを繰り返す。
人間は、長く生きれば生きるほど、幾つもの夏の終わりと冬の厳しさを知れば知るほど、眩しい時代を敬遠しだし、
そしていつしか、勝手に悟ったような顔をする義務に駆られて、物事の終わりばかりを見つめるようになるものだ。

旅に出る理由なんて、なんだって構わない。
しかし一度暮らした家を出てしまえば頑固者のハリーに妥協はない。
お仕着せや同情、お節介などに阿る事なく、自分が本来落ち着く場所を求めて足を引きずり何処迄も旅を続ける。
求めるのは想い出やしがらみに手足を雁字搦めに縛られて、ただ座して苦痛に満ちた死を待つ場所ではない。
この先死ぬまでにやれる事は、きっと大したことではないだろう。
これまで為した事だって同じく大したことではなかったのだから。
それでも今目の前にある不自由で不条理な現実、新しい価値観に背を向けず、受け入れ、対面しながら歩くこと。それだけで人生はずっと自由になる。
この先、どんなに歳を重ねたとしても、私たちは誰も本当の終わりなんて知らないのだから。
大切な想い出を忘れてしまっても、永く暮らした居場所を失ってしまっても、貴方が貴方であることは変わらない。
あとは残された時を猫のようにしなやかに、柔らかく生きて行けたなら。

届かぬ程遥かな遠くではなく、
ただ、出来るだけ自由に近く、
この心が歩いて行ける処まで。
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