ninjiro

ランボーのninjiroのレビュー・感想・評価

ランボー(1982年製作の映画)
4.4
1982年。
スタローンにとっては、第2次黄金期の始まりであった。
同時にその年、彼は一つの重大な決断を迫られた年でもあっただろう。

ロッキーが当たり、しかしその後の映画人生は楽ではなかった。
念願の初監督作品は空振り。
運命に強いられるようにしてか、ロッキー2、そしてロッキー3。
彼は元々作家志望で、作品で伝えたい、映画をとにかく作りたいという熱い夢を、危うい紆余曲折の中でなんとか叶えて来た。

このタイミングでもたらされた脚本は、今後彼を生涯「アクションスター」にしてしまう企画だ。
スタローン程のクレバーな人が、それが如何にリスキーな選択か判らなかったとは思えない。

誰に対して映画を撮るか。
誰に対して自分を観せるか。

彼は自身の作家性を封じる道を選んだ。
自分の撮りたいもの、演じたいものよりも、
自分を愛してくれるファン、自分にこうあって欲しいと望む大衆、自分に映画という舞台に立つことを叶えてくれた全ての人により多くを報いることが出来る道を、堂々と選んだ。

自分の作家性は今求められていない。ならば、自らの生き様を見てもらいたい。それがスタローンの選んだ道、彼に残されたファンへの通信の手段だった。

彼は覚悟を見せつける。
幾らでもスタントを立てられる立場にありながら、まだアクションスターとしてのキャリアは浅いのに、ここ一番の危険なアクションを自ら演じ、命に関わる程の大怪我を負ってみせる。
この心意気を、ただ筋肉バカと笑うのは容易い。
笑う権利は誰にでもある。
しかし、笑う奴は、自分の伝えたいそのバカさをその冷笑で、軽薄な心で、相手に真摯に伝えられるか検証してみるがいい。
何も成さないヘナヘナなバカが手当たり次第に物事をシニカルに笑っているだけ、冷笑には冷笑が返されるだけだということに気づくだろう。
それは人の心に何を灯すでもない、ただひたすらに無駄なコミュニケーションだ。
私と同じく、何もしない・出来ない奴には、彼の覚悟を笑う資格は微塵もない。
彼は、それから先も、ずっと命を張ったコミュニケーションで我々に向き合い、伝え続けた。
誰からも見られる場所で。
誰にでも笑われる場所で。

そして、それは今なお続いている!

こんな愛はあるだろうか?
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