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さまよう刃のninjiroのレビュー・感想・評価

さまよう刃(2009年製作の映画)
3.0
一度生じた悪は決して消えることはない。

劇中、寺尾聰は言う。

彼は見も知らぬ少年たちに、
娘を犯され、覚醒剤を打たれ、殺された。

彼は既に妻を亡くし、
残された一人娘を慈しみ、愛し、
彼女の未来を只一つの希望として生きてきた。
まだ中学生の彼女の可能性は、
この先も限りなく広がっていた。
既に彼女の形成されつつあった人格も、
彼が生ける希望とするに相応しかったろう。
まだ赤ん坊だった頃から、
徐々に自分の脚で歩くようになり、
最初はただ自分の命よりも大事な命だった。
しかし、次第にそれは、彼にとって「世界」よりも重い命となる。

犯人達は、そんな掛け替えのない宝物を、
人格など問題にもせず、ただ醜い欲望のままに
肉の塊として扱い、奪い、汚し、喰らい、棄てた。

冒頭の台詞には、
「私の心の中に悪として残り続ける」から、と注釈が入る。

そんな注釈は必要だろうか?

相変わらず狂った世の中、
大切な人の居ない世界、
そこにのさばる鬼畜生。

例えば相手が「持てる者」だった場合、
社会的制裁によりその持つ全てを失う。
また、個人の力によって合理的・合法的に制裁を加えることも出来るだろう。

しかし、相手が社会に巣食う寄生虫である場合、
そもそもその薄汚い命以外に持てる価値は無い。

鬼畜生には大人も子どももない。
年齢が如何であろうと、畜生は畜生だ。

少年法も確かに重大な司法の欠陥だ。
犯した罪は、年齢ではなくその重さで粛々と測るべきだ。

しかし大前提として、
寺尾聰は、例えば犯人が大人だったからといって、
果たして司法に、緩い刑法に、全ての裁きを委ねただろうか。

重大で、卑劣な犯罪の被害の当事者になったとして、
その加害者が、心を入れ替えて真摯に生まれ変わってくれるなんて本心から期待できるだろうか?
一旦卑劣な道を歩んだ者は、まず変わらない。

何故なら、卑劣であるという事はそれを拒む生き方よりもずっと楽だからだ。

一度生じた悪は消えることがない。

それは劇中の哲学的な表現に止まらない。
厳然たる真理だ。


我々は、そんな畜生の何を守る?

私達が日々犯す罪は、誰が裁く?


泣く事も、訴える事も許されぬ骸。

倫理を守るために日々必死な私達。

畜生に与する倫理など、本当に必要なのだろうか?
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