keith中村

かあちゃんのkeith中村のレビュー・感想・評価

かあちゃん(2001年製作の映画)
5.0
 市川崑最晩年の傑作。
 このあと、リメイク版の「犬神家」とオムニバス「夢十夜」の第二夜を監督し、その翌年に92歳で生涯を終えるが、本作は86歳の作品。
 
 円熟の技とでもいうのか、「老成された」という言い回しを端的に映像化すると正にこの映画のことか、とんでもない領域に達している映画である。
 ケレンや韜晦がまったくない、真っ直ぐな演出。
 もちろん市川崑お得意の呼吸の早い編集は何度か使われているが、それもミニマムに抑制された範囲に収まっている。
 むしろ、このゆったりとした物語にふさわしい長回しのほうが強く印象に残る作品。
 
 原作が山本周五郎なので、真っ直ぐすぎるほどの人情噺。
 それを元に脚本を書いたのが、市川崑のベターハーフ和田夏十。
 市川崑は和田夏十の死後、彼女の遺した脚本で何作か撮っているが、本作もそうだ。
(「和田つながり」でいえば、本作のタイトルイラストは和田誠さんですね。この頃はまだまだ現役バリバリでした。和田誠さんも私が映画ファンになるきっかけの大師匠の一人)
 
 本作の流れは、基本的には山本周五郎の原作通りなんだが、アヴァンタイトルだけは映画オリジナル。
 ここは、古典落語の「花色木綿(別題:出来心)」をベースにしている。
 「花色木綿」というと、やはり古今亭志ん朝がベストだと、私は思うけれど、本作はまさに志ん朝晩年(といっても、志ん朝師匠は63歳で亡くなっているんで、あまりにも早い死だった。歿年は本作公開と同じ2001年)の、円熟期の人情噺を聴いている気分になる作品。
 「花色木綿」はサゲ噺なんだけれど、たとえば志ん朝の「唐茄子屋政談」や「子は鎹」(これは形式としてはサゲ噺だけど。っていうか、人情噺とかサゲ噺とかの分類は面倒くさいんで省略します!)、もしくは大ネタ中の大ネタ「文七元結」あたりを聴いているのと同じ感覚になるのが、本作。
 
 私は映画と並んで落語が大好物なので、「映画×落語」ものは、好物中の好物。もう、ハンバーグとお寿司を一緒に喰う感覚(←間違った喩え。それは逆にまずいだろ!)
 ともかく、その意味で、原作にはそこまでは色濃くなかった落語テイストを冒頭の「花色木綿」で呈示した本作は、まごうことなき「落語映画」としても堪能できました。
 
 「落語映画」の最高傑作と言えば、いや、日本映画の最高傑作のひとつは間違いなく「幕末太陽傳」。
 あれは、「居残り」をベースに「品川心中」「文七」「お見立て」「三枚起請」などなどの古典落語をマッシュアップした大傑作だった。
 本作もまた、「落語映画」の、そして日本映画の最高傑作のひとつだと思う。
 この両方に小沢一郎が出演していますね。
 本作では大家さん。「幕末」では「品川心中」パートの貸本屋の金造。
 そこもやっぱり本作を「落語映画」たらしめているところ。
 
 それに「落語テイスト」を増幅させるキャストとして、酒屋に入り浸って、岸惠子演じるお勝さんの噂に興じている四人衆が、五代目春風亭柳昇、二代目中村梅雀、コロッケ、四代目江戸家猫八のコミックリリーフ。うち二人は寄席芸人。

 柳昇師匠は、昇太師匠のお師匠さんですね。
 「新作落語」の始祖のひとりといってもいい噺家さん。
 私は残念ながら落語に興味を持ったのが遅すぎたので、柳昇の高座には間に合ってないんだけれど、録音で聴く柳昇の新作はどれも素晴らしい。
 中でも「与太郎戦記」は傑作。これも映画化されてるので、「落語映画」のひとつですね。
 海軍として大東亜戦争従軍中の過酷な体験を、見事に笑いに昇華した作品です。
 もう、俺、「之字運動(外来語で言うと「ジグザグ運動」。軍艦が轟沈されないように「之」の字もしくは「ジグザグ」に航行すること)」って単語聴くだけでフフンって笑えちゃうもの。
 柳昇師は、戦争で指を何本か失ってる。
 本作でも手が不自由なのがわかります。
 弟子の昇太師も新作の名手。「悲しみにてやんでぃ」はこれまた映画化された「TOKYOてやんでぃ」の原作ですね。
 「TOKYOてやんでぃ」と言えば、出演していた南沢奈央ちゃんは若いのに落語好きで、かつて赤坂BLITZで「雛鍔」を演じたこともある(あと囲碁もやるんだよね。奈央ちゃんはいやはやオヤジキラーだわ)。市馬師匠に教えを請い、高座名は「南亭市にゃお」でした。
 
 いかんな。落語のことになると話が逸れる(←いや、いつもだろ)。
 
 四代目江戸家猫八師匠は間に合ってます。何度も寄席で見てきた。
 この映画の頃はまだ襲名前の「子猫」だったんですね。
 この方も夭逝なさった。2016年に66歳で。
 晩年には息子の(今の)子猫さんと二人で舞台に上がってました。
 多分最晩年の2015年の出番も見たと思う。まさか、それが最晩年だなんて、その頃は思いませんでしたけどね。
 だって、まだまだお若かったもの。
(ちなみに私が人生で最も寄席に通った時期には、「ごちそうさん」出演当時の東出昌大さんを見かけたことがあります。「めっちゃ背が高い若者がいるけど、知ってる顔だ。知り合いだっけ?」と思って思わず会釈したら、東出さんも会釈してくれました。ちょっと考えて、「あっ、東出くんだ!」ってびっくりしたけど。彼は日本で唯一の落語情報誌「東京かわら版」に寄稿するレベルの落語ファン。「志ん朝師匠のお弔いに参列している夢」を見るレベルの落語ファンなのです) 
 
 落語は日本独自の芸能なので、ひいては「落語映画」は日本独自のもの。
 「落語映画」はほかにも「落語娘」「らくごえいが」「寝ずの番」「歓喜の歌」「スプリング、ハズ、カム」「銀座カンカン娘」「二人の瞳」「しゃべれどもしゃべれども」「の、ようなもの」「タイガー&ドラゴン」「ちりとてちん」「古畑任三郎:若旦那の犯罪」などなど枚挙に暇がない。
(今、「噺家を扱った作品」「落語原作の映画化作品」「噺家が出演する作品」をごったごたに混ぜて書いちゃいましたね。あと、ドラマも書いちゃった。まあ、いっか)
 
 どなたか映画評論家で、「落語映画」を俯瞰する評論を書いてくださらんもんかね。
 広瀬和生さんは落語鑑賞の神だけれど、映画よりはロックだし、堀井憲一郎さんも映画にはあまり言及してないし。
 だれか、落語と映画両刀使いの評論家、いないものかね?!
 
 もちろん、「噺家」を「コメディアン」まで広げると西洋にもその系譜はあって、楽しい楽しいものから、「レニー・ブルース」や「ジョーカー」のような暗いものまで、やっぱり幅が広い。
 そこも含めて鳥瞰する評論家って…。あっ! いた! 小林信彦さん、あなた絶対適任です! 書いてくださいな!
(って、このレビューを小林信彦が読んでるわけねえだろ!)
 
 市川崑を礼賛しようとしてたら、今回はまったく別のところに話が行っちゃいました。
 仕方がないので、落語の世界でいちばん好きな喬太郎師匠のことを書いて、今回のレビューを終わりますね。
 キョンキョン師匠はもちろん「当代いちばん面白い新作落語の旗手」でもあるし、映画関連では「噺家のなかで有数のゴジラ映画ファン」でもあり(キョン師の出身はかつて円谷プロがあった祖師ヶ谷大蔵です)、それに加えて「語られなくなった落語を発掘する名手」でもあります。
 圓朝の「錦の舞衣」を復元したり(ってか、これ、さらに言うとプッチーニの「トスカ」の輸入版だよね)、喬太郎師匠の偉業はかなり多いんだけど、やっぱり最高峰は「擬宝珠」の復元。
 古典落語には、「若旦那の恋わずらいもの」が多いけど、王道の「崇徳院(瀬をはやーみっ!)」の成立の後に、蜜柑が食べたくって寝込んちゃう「千両みかん」という亜流ができて、さらにはフェティシズムな「擬宝珠」と進化(もしくは頽廃)していくんですね。
 「擬宝珠」は何十年も高座にかかってなかったけど、それを復元したのが喬太郎師匠。
 これ、すごいですよ!
 なんつっても、日本に留まらず、ジュリア・デュクルノー監督の「RAW 少女のめざめ」やカーロ・ミラベラ=デイビス監督の「Swallow スワロウ」といったホラー映画の元ネタでもあるんですから!
 
 ごめん。嘘ついた。
 でもさ、マジで。キョン師匠の「擬宝珠」を聴いてから(多分Youtubeとかに違法かも知らんけど上がってる)、「Row」とか「Swallow」観ると、まったく同じ話としか思えないもんね!