keith中村

変な家のkeith中村のレビュー・感想・評価

変な家(2024年製作の映画)
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 序盤は「残穢」級の傑作ホラーミステリーになるかと思ったんだけど、終盤はまあまあ「ごった煮」になってしまったから、本作には点数はつけないでおきますね。
 
 ただ、「こねくと」でも「変な間取りに住んだことがあるパイセン」やったし、フィルマのレビューでも「自分が住んだことのある変な物件」カミングアウトが散見されるので、私も書きますね。
 本作の間取りにもまあまあ近い家でしたから。
 
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(ここからはトーンを変えて稲川淳二の語りを想像しながら読んでください)
 
 もう五十年も前の話です。
 ……あれは確か私が四月で小学校に上がる前の三カ月。一月から三月の間、そう、実家を建て替える間に住んだ家の話です。
 私はそこそこ田舎の生まれでしたが、我が家はその中でもまあ中心地。名ばかりだったけれど商店街もありました。とはいえ、所詮は田舎の農村地帯。自転車で十分も走ると、「野中の一軒家」だらけでした。
 
 そう。我が家が三カ月暮らしたのも、そんな「野中の一軒家」の農家でした。
 茅葺屋根の平屋。
 お風呂すらなくて、毎日隣の家(と言っても徒歩でたっぷり5分。冬だったんで骨身に滲みた)にお風呂を借りにいってました。
 
 なんでもその農家は、我が家の遠縁の持ち家で、住み手がなくなったから借りられたんだそうです。
 
 間取りはちょうど、本作で言えば、「本家」の間取り図の右上と一緒。
 
 和室① 和室②
 和室③ 和室④
 
 「田の字形」でした。
 
 で、④を茶の間にして、③は私と姉の部屋。①が両親の寝室でした。
 じゃあ、②の部屋はどうかと言うと……、不思議だったんです。②の部屋に続く襖の前にテレビを置いて、そちらには行きにくくしてた。
 
 その頃、毎週だったか、隔週だったか、うちに訪ねてくるお婆さんがいました。
 そのお婆さんが訪ねてくると、私は母から「かっちゃん、遊んでおいで」と家から追い出されてました。
 とにかく色々と不思議でした。
 
 そんなことが続いたある日。
 多分、外で遊ぶのに飽きて、ちょっと早めに帰ってきました。
 そしたらね。
 
 テレビを置いてた向こうの襖が開いてて、見ると「和室②」にはコの字型に部屋の三面の壁に三墓、三墓、三墓、合計九墓の仏壇があって、その九墓の仏壇すべてに煌々とお燈明が灯され、その前で座布団に座って一心不乱に拝んでるお婆さんがいたんですよ。
 
 当時は保育園の年長さんだったので、「怖い」とは思いませんでした。
 やっぱり「何か、不思議だなあ」くらい。
 
 まあ、たった三カ月しか住まず、建て替えた家に戻りました。
 それから、時々その光景を思い出すんだけれど、別に親に「あれは何だったの?」と訊くこともなく。
 
 今、私は東京に住んでるんだけれど、十年前に母と姉に観光させるべく東京の家に呼んだのです。
 その時、不意に姉からだったか、母からだったか、「あの家は不気味だったよね」という話題になったのです。。
 四十年間、家族の誰も話題にしなかった「あの家」の話になったんですよね。
 
 「あ、やっぱり不気味だった? 俺は母さんは大人だから怖くないと思ってたよ」
 「いや、あんなん大人やろうが、気色悪かったよ」と播州弁で答える母。
 
 今から考えれば何が不気味って、それは遠縁の親戚が住んでた家ってこと。「住んでた」ってことは今は住んでないわけですよ。引っ越す時ってお仏壇も持ってきますよね、普通は。
 
 ただ、「あの家」には誰も住んでないのに、合計九墓の仏壇だけ残されてたんですよ。
 しかもですよ。
 一族だったら、お仏壇って一つでしょ? 先祖代々おんなじ仏壇に祀る。
 
 「あの家」には仏壇が九墓もあった……。
 それは「別の九家族の仏壇」ってことなんでしょうね。
 他人の仏壇をなぜか一軒家に押し込んで、毎週だか隔週だかお参りに来る理由って何なんでしょうね。
 
 結局そのお婆さん以外、うちの家族は誰も「和室②」には入らなかったけれど、もし入ってたらそれぞれの仏壇に「ミイラ化した左手」が供えられてたのかもしれません。