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柳生一族の陰謀のninjiroのレビュー・感想・評価

柳生一族の陰謀(1978年製作の映画)
4.0
親に遭うては親を殺し、仏に遭うては仏を殺す。
其は、謂わば善悪を超えた不退転の歩み。

定番化、様式化により停滞期を迎えた任侠映画の様式を根底から破壊し、泥臭い戦後やくざの抗争を綺麗事は綺麗事、現実は現実として阿る事なく、アンチヒーローの視点のみならず、群像劇として様々な角度からのリアリズムを追究して描いた「仁義なき戦い」。かつての任侠映画の主人公が一貫して義理と人情を第一義としたある種の正統派ヒーローとしてその時代毎に求められる人間性を超越した存在であることを求められた背景と、益々大きくなる当時の時代性との乖離を逆手に取って産み出された実録路線の決定版、これぞまさしくエポック・メイキングであった。「仁義なき」の看板は伊達ではない。旧来の作品に厚かった義理人情というモチーフを初手からかなぐり捨てることから始まる急襲の狼煙である。

本作「柳生一族の陰謀」は所謂「時代劇」における再発明を標榜し「仁義なき戦い」とほぼ同様の方法論を以ってして仕掛けられた巨大な花火であった。

デカイ花火である。超巨大だ。
予算の掛け方が桁違いだ。勿論、日本国内映画という枠組みの中での比較ではあるが、時代劇という時代遅れのジャンルに対してこれ程の期待を掛けて莫大な投資を行った当時の東映の、この一発で時代を動かしてやる、という頼もしい気概を感じる。そして、実際その試みはある程度実を結んだ。ジャンルを飛び越えて、史実すらも飛び越えて、普遍的な人間本来の業の哀しみが織りなすこのドラマが観客に訴えるものは大きい。
そのドラマに取り憑かれたような、嘗ての東映時代劇黄金期を支えた大スター、萬屋錦之介の最早怪演とも言える存在感は兎に角凄まじい。
その言葉と姿を持て、対する凡ゆる者を斬る。
萬屋の迫力、威風堂々という言葉をなぞらう風格は元より、演技のそもそもの方法論が他の演者と別次元にあることもあり、その異彩は時に観る人の笑いすら誘う程である。
しかし、この異様こそが裏を返せば萬屋のみが醸すことの出来る本来のリアリズムでもある。
実録を標榜した「仁義なき戦い」が当世の風俗を再現したリアリティを持っていたならば、そもそも振り返り、取り返しのつかない程の過去の時代を辛くも再現せんと努めた萬屋の芝居を何で笑えようか。寧ろ現代劇の形を全く崩すことなくフレームに収まろうとする原田芳雄の演技がこと此処に限定しては邪魔でしようがない。
時代劇に現代劇のエッセンスを注入し蘇らせようと目論んだ東映と真っ向から対立し、結果としてその圧倒的存在感により作品全体を支配した萬屋、しかし、今日本作を観る私のような者にとって、この映画の魅力の殆どの部分が萬屋のその演技に依るものという皮肉よ。

ちゃぶ台ぶっくら返しのラストは凄い。

ややご一人たりとも生かすな。千々絶え絶えに、皆殺しじゃ。
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