YasujiOshiba

アンツィオ大作戦のYasujiOshibaのレビュー・感想・評価

アンツィオ大作戦(1968年製作の映画)
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日本版DVD。24-50。積読状態をキャッチアップ。

以下、備忘のため:

- 今朝カルで読んでいるロッセリーニの『Era notte a Roma(ローマで夜だった)』(1960)の資料。ひとつは同じ年に公開された映画で、1943年9月8日の休戦協定から12月27〜30日の「ナポリの4日間」と呼ばれる民衆蜂起までをイタリアを描いたルイージ・コメンチーニの『Tutti a casa』(1960)。


その「ナポリの4日間」の直後にナポリ入りした連合軍の様子を描き、ローマに向かうまでを描いたのがリリアーナ・カヴァーニの『狂える戦場』(1980)。

さらに1944年のパルチザンによるドイツ軍へラセッラ通りのテロと、それにたいするドイツ側の「報復」(rappresaglia, これが原題)としての「アルデアティーネ洞窟での虐殺」を描く『裂けた鉤十字/ローマの最も長い一日』(1973)。

それからこの映画だ。ここでは連合軍のアンツィオ上陸からローマ開放までが描かれる。なにごともなく上陸、じつは相手の守りは手薄だったのだけど、それを罠だと疑ったり、モタモタしているうちに、敵軍に増援が来て、先行部隊が全滅したりと、まあいろいろあるけど、戦局はほぼ決まっているころの話。

慎重になりすぎた作戦を批判的に取り上げるというよりは、むしろ人はなぜ戦争なんてやるんだというのが主題。その意味でピーター・フォークが演じるラビノフ伍長が印象的。戦争に憑かれた男。死ぬかもしれないと思うときのヒリヒリがたまらない。頼りになるときはなる。でも、あっけなく死んでしまう。そのあっけなさがまた印象的。

戦場の目となるのがロバート・ミッチャム。ぼくらは、ミッチャムの演じる戦場ジャーナリストのディック・エニスを通して、戦場をさすらうことになる。このミッチャムには、どこかラビノフ伍長に近い危うさがあるのだけれど、同時に冷めていて、武器は持たず、ペンを持つ。ぼくら観客と同じ観察者なのだ。しかも、ミッチャムが演じるのだから、そう簡単に死ぬことはない。

なんだか西部劇の主人公のようでもある。ペンしかもたない彼も、ついに機関銃を手にしなければならないときがくる。すると、手にした機関銃で完璧に敵兵をやっつける。いや、ふつうそうはいかないだろというのは言いっこなし。西部劇だからね。

ドイツの狙撃手との戦いのあたりなんて、まさに西部劇。馬は出てこないけど、戦車は出てくる。地雷原も出てくる。女も出てくるけれど、娼婦か、娼婦のようなイタリア女ばかり。歌も歌う。喧嘩もする。酒も飲む。ナポリの歴史的な建造物で、カウボーイたちの馬鹿騒ぎ。


ジャンカルロ:ジャンニーニの若い頃の姿もある。イタリア語がわかる米兵チェリーニ。あまり印象に残らないけど、お、いるいるって感じ。
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