イホウジン

新幹線大爆破のイホウジンのレビュー・感想・評価

新幹線大爆破(1975年製作の映画)
3.9
「パラサイト」にも通ずる社会派エンタメ
近代化は日本を幸せにしたか?

「新幹線」と「爆破テロ」2つをメタファーとして、当時の日本社会の歪みをさらけ出す社会派映画である。そのうえでタイムリミットスリラーや警察と犯人のコミカルな逃走など万人が楽しめるエンタメ要素も満載で、このバランスが素晴らしい。さながら「パラサイト」である。
今作における「新幹線」は当時の日本社会そのものを表している。見かけの上では美しく、完璧(と信じられてきた)な技術を用いている新幹線だが、その中にいる乗客たちは決して機械のように完璧ではなく、良くも悪くも人間臭い。彼らの集団ヒステリーの描写が多々あったが、一人の手に負えない災害が発生した時にはそれまで信じられてきたものが全て無力になるという意味でのパニックと捉えれば、現代においても思い当たる節はあるだろう。そして新幹線や犯人を巡る警察と司令所の対立は、人をモノのように扱ってきた資本主義社会の残酷さを露呈させているようである。目的のための効率化のためなら人命や人権を厭わないという考え方は、過労死や公害の問題にも直結する。
今作はそういった社会の歪みや暗部を巧みに隠してきた「新幹線」そのものの暗部を「爆破」という行為によって可視化させたものである。近代化の目的としての安全性の強調や経済成長の証である新幹線を巨大な爆弾に仕立てあげた今作の事件は、社会に埋もれた声無き声が部分的に暴発したようなものとして考えられる。

ワンシチュエーションでこれだけの出来事を詰め込むのは見事であったが、どうしても散らばりすぎたような感覚を持ったのは否めない。丁寧な描写でありがたいと思う反面、説明過多に陥りかけたパートもあった。国鉄の許可が下りなかったということもあるのかもしれないが、映画後半の新幹線パートの少なさも残念だった。前半の特撮へのこだわりが良かった反面、後半でそれがかき消されてしまったように感じる。ラストに向けた展開も疑問が残る。せっかくここまで精巧に作り上げられたストーリーが単なる偶然性によって崩壊していったのは、いささか投げやりだったのではとも考えてしまう。
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