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山猫のKeithKHのレビュー・感想・評価

山猫(1963年製作の映画)
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京都ヒストリカ国際映画祭で、187分の完全復元版を映画館のスクリーンでは初観賞しました。1963年のカンヌ国際映画祭でパルムドールを受賞した、名匠ルキノ・ヴィスコンティが57歳で監督した名作で、今回の映画祭で最大の目当ての作品です。

1860年春のイタリア統一戦争下のシチリアを舞台に、300年に亘り当地に君臨統治していたサリーナ公爵家の人々とその周りの人々の思いや行動を、当家主人のファブリツィオ公爵を主役に置いて描いています。

時代が激しく大きく動いていく変革期に、歴史の大きなうねりに翻弄されながら、それでも懸命に抵抗しようとする気高くも愚かな人の生き様を描くという点で、デヴィッド・リーン監督の『ドクトル・ジバゴ』にオーバーラップします。

市街戦シーン以外にはアクションもなく、カットも長く取られていて、殆どのシーンが室内の会話で進行するためテンポは非常に緩慢です。
寧ろ本作は、ストーリー性よりも、当時の時代と貴族たちの空気感を描き出すことがメインテーマです。
豪邸や戦闘のセット製作、いかにも高価で贅沢な家の造作・装飾や食器といった美術(Production Design)の高い技量、それに質・量ともに最高水準に取り揃えられた豪華絢爛な衣装(Costume Design)は、呆気にとられるほど実に見事であり、またこのスケールの大きい世界観を反映した精巧で巨大なセットの建付けと膨大な人員の動員は、今ではもはや実現不可能であり、大いに眼福を得ました。
3時間に及ぶ本作の中でも頗る長尺を取ったのが市街戦シーンと舞踏会シーンです。両シーン共に本作の極めて枢要な意味のある映像であり、象徴的なシーンです。
市街戦は市民階級の台頭と貴族階級の淘汰を、舞踏会はそれでも旧習に縋りつき薄れゆく栄華のみをただただ恋慕する貴族階級の華やかさの裏の哀愁を、それぞれ感じさせます。
とりわけ舞踏会の規模の大きさと華麗で豪華な設えと衣装は、これだけでも大いに観賞する価値大でした。

己の滅びゆく運命、新しい時代に置き換わっていく宿命、そして自らのミッションを自覚し、無理やり居座ることを選ばず、穏便に静謐にただフェイドアウトしていくことを選んだサリーナ公爵の生き方は、『ドクトル・ジバゴ』でロッド・スタイガーが演じたコマロフスキーとは対照的です。
時代と社会のラディカルさが180度異なりますが、片や野心と欲望、本作では矜持と諦観であり、いわばグリードとノブレスオブリージの対比といえます。
本作の本質は、貴族の矜持と諦観を底流にして、滅びゆく運命に晒される人々の生き様の壮麗で風雅な美しさにあるように思います。
KeithKH

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