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善き人のためのソナタのYukikoのレビュー・感想・評価

善き人のためのソナタ(2006年製作の映画)
5.0
2022年3月15日
『善き人のためのソナタ』   2006年ドイツ制作
監督、フロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク。
他の監督作品に、A・ジョリーさんとJ・デップさんが出演した
『ツーリスト』がある。
『ある画家の数奇な運命』も面白そうだ。

1984年、東ベルリン。
国家保安省(シュタージ)の局員ヴィースラー大尉
(ウルリッヒ・ミューエ)は、反体制派と疑う劇作家
ドライマン(セバスチャン・コッホ)の家を盗聴する。
ドライマンには同居する舞台女優の恋人クリスタ
(マルティナ・ゲデック)がいる。


1990年の東西ドイツ統一前の東ドイツ、徹底した監視社会
の東ドイツ。
その相互監視網を敷いて国民の生活を抑圧した要の秘密警察
・諜報機関を統括する国家保安省、別名シュタージ。

そこに勤務するヴィースラー。
二人で交代して、24時間監視。
内容を報告書に残す為にタイプする。
そして盗聴され、監視されるドライマンとクリスタ。

盗聴に気付かないドライマン、分からないように綿密に
盗聴器を仕掛けているんだろう。
一度はヴィースラー大尉も見逃したので、尚更、大丈夫と
思っていたのだが。

「善き人のためのソナタ」の曲をピアノで弾くドライマン。
それを盗聴するヴィースラー、心に響く旋律。

ドライマンの「善き人のためのソナタ」の著書のタイトル
を見て、「私のための本だ」と呟くヴィースラー。

映画の中に描かれるシュタージと、その後のシュタージ
ファイルについて、下記に記す。
このシュタージファイルがあってこそ、ドライマンが
HGW××7という暗号名とその人物ヴィースラーを特定
できた。
(おそらく、Hは、シュタージの対外諜報局HVAの略、
GWは、ゲルト・ヴィースラー大尉の略かと思う。
ヴィースラーの頭文字はWだった。
→シュタージファイルの場面を見て)

監視の様子の一部始終を後々本人が閲覧できるようになった、
それは自由な社会になったという結果だね。

とても良い映画。
どんな状況でも、善い人はいる。

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<シュタージ>  Wikipediaより抜粋。
1947年8月、東ドイツを占領したソ連軍は「第5委員部
(K-5)」(秘密警察組織)を創設した。
1949年、ドイツ民主共和国建国後、1950年に国家保安省を
 創設。
1953年、ベルリン暴動と関連し、国家保安相のツァイサーが
 弾劾、国家保安省の地位は低下、内務省に従属する庁扱い
 となる。
1955年、シュタージは省の地位を取り戻す。
1957年、ミールケが国家保安相となる。
 KGB(ソ連国家保安委員会)と同様の軍隊式の階級制度
 及び、制服が導入された。
1958年、シュタージの対外諜報を担当する「A」総局(HVA)
 が創設された。A=偵察。
1971年、グロスマンが任命される。
 「A」局勤務の職員は4126人、4500人以上のエージェント
 が各国で働く。
1989年11月、ベルリンの壁が崩壊され、シュタージは
 国家保安局に改称。
同年12月に解散した。

国内活動向けの準軍事組織として、フェリックス・ジェルジンスキー衛兵
連隊を有していた。→公にされていた組織。
それ以外に、IM(非公式協力者)と呼ばれた密告者が多数存在
し、彼らによって国民を徹底的に相互監視し、反体制分子を
弾圧した。
正規職員とIMの総数は、最盛期には約190万人いたとされる。
総人口の1割以上が秘密警察の構成員とその関係者という。
ゲシュタポやKGBの規模をしのぐほどの極端な警察国家と
なっていた。

シュタージが集めた反体制分子と目された人々の詳細な個人
情報ファイルは、東ドイツ崩壊後、本人や家族に限り閲覧が
出来るようになった。
が、それによって家族や親友、クラスメイトや職場の同僚が、
実はシュタージの職員もしくはIMであり、信頼していた人物
にまで言動を監視されていた真実を知って、家庭崩壊や極度
の人間不信に陥った事例も少なからず発生した。

1976年、「ツェルゼッツンク」と呼ばれる、心理学的な戦意
喪失策を監視対象に対して実行する心理戦法を体系化して
実行した。
監視対象者を逮捕・投獄する前段階で心理的に攻撃し、弱体化
させる目的で開発されたが、投獄中や投獄後にも継続して
実施されもした。

具体的には、個人情報の中から、監視対象者の職業上・家庭内
での失敗、性的嗜好、アルコールや薬物、ゲームなどへの
依存的傾向、収集癖、家族や所属するグループ内の仲間しか
知り合えないレベルの恥や失態といった人間的弱点を抽出し、
匿名の手紙、電話、電報、写真を用いて監視対象者の周囲に
ばらまいたり、家屋や車両などに破壊工作を仕掛けたり、
既婚者の特に女性に対して、男性エージェントを用いて
ハニートラップを仕掛け、離婚に至る紛争を誘発させたり
することで、
監視対象者本人と家族を含む周囲の人物との間に不和と
相互不信を生じさせ、監視対象者の人間関係を破壊して
孤立させ、心理的虐待を加えることで反体制的な意思の
弱体化を図った。(←この4行、重要と思う)

オリンピック選手であったイネス・ガイペルさんは、
シュタージの手で「腹痛を発症、その後の虫垂炎手術、
実際は胃を全摘出」され、現役引退を余儀なくされた。
イネスさんは東ドイツ崩壊後に自らのシュタージ・
ファイルを閲覧して、初めて事の真相と自らに施された
手術の全容を知ったという。

逮捕されるまでに至らない水準の監視対象者に対しても、
ツェルゼッツンクを用いた心理的攻撃を積極的に仕掛け、
人間関係と精神状態を崩壊させていく過程を楽しむように
なっていったとドイツの歴史家が記載している。
→フーベルトゥス・クナーベ。

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<シュタージ・ファイル>Wikipediaより抜粋。
一種のカードであり、情報源の項目にはエージェントの
登録番号と偽名、本文の項目には提供情報のレジュメと
日時が記載されていた。

シュタージは、ソ連の衛生国である東ドイツの情報機関
であることから、KGBとは緊密な協力関係にあった。
ロシア大統領ウラジーミル・プーチンはKGB勤務時代の
1985年から5年間東ドイツに駐在していたが、その際に
シュタージの身分証明書も持っていたことが、
2018年に明らかになっている。
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