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日の名残りのcollinaのレビュー・感想・評価

日の名残り(1993年製作の映画)
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アンソニー・ホプキンスがどうしても観たい気分だったので、こちらの作品を。結果として、アンソニー・ホプキンスがますます好きになりました。母は断固として、レクター博士が好きなようですが、私は、彼の英国紳士っぷりも素敵だと思います。

スティーブンスとケントンの距離感に揺さぶられます。決してあるラインを越えようとはしない2人の関係はもどかしくも、またある意味では、そのまま続いてほしいと願うような幸せな関係かもしれません。けれど、脆い幸せの上には安住していられなくて。手に入れようとしなければ、いとも簡単にほどけてしまう。何か一言言っていれば、彼女はとどまったかもしれない。後悔の先のやり直しボタンには手は届かなくて。ボタンは掛け違えたら、最後まで掛け違えたまま。バスは定刻通りに来てしまう。どこまでも甘くはならない2人。二度と触れることはない温度。

でも、「日の名残り」の魅力はこれだけではなくて。

ダーリントン卿は本当にドイツとは戦争をせずにやっていけると思っていただろうけれど、もう貴族の時代ではなかった。ネヴィル・チェンバレンは宥和政策を採っていたのだから、ダーリントン卿は政府の意向に沿っていたのだろうけれど、既に1933年にはナチス・ドイツが成立していました。結果から観れば、チェンバレンではなく、チャーチルが政権を握り、イギリスは勝利するわけです。もう、貴族が政治に関与する幕は無くなっていて、外交が貴族の密談で決まる時代は終わり、ダーリントン卿はその波に取り残されてしまった。その陰で、自分の意思を決して露にすること無く、スティーブンスは仕え続ける。嘲られても。スティーブンス、そして、ケントンの為す術のなさ、そのために辞めたベン。

貴族社会と世間の間でどちらにも属せずに揺れ続けたスティーブンス。ダンケルクで戦死した者たち、戦後人々が政治に関して語る姿。自分はどうあるべきだったのか、どうにかできたのか、どうにもできなかったのか、揺れるスティーブンスの姿。

スティーブンスという1人の人間を通して、どちらにも属さなかった人間が見つめるイギリス社会の変化、そして、その社会の波の中で生きる人間の半生を見つめることができる作品ではないでしょうか。

そんな、スティーブンスを演じたアンソニー・ホプキンス、いい俳優だなぁ、眼に惹かれてしまうと改めて思ってしまいました。

「日の名残り」、いい題ですね。
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