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ラストデイズのGreenTのレビュー・感想・評価

ラストデイズ(2005年製作の映画)
2.0
これを観ると、本当にバンド続けなくて良かったと思った。若いころは人並みにロックスターになりたい!とか思っていたけど、なんかとってもつまんなそう。

どうやら主人公のドレイクは、ドラッグのリハビリ施設から逃げ出して家に帰ったらしい。でも、家には2カップル、計4人の若者が住んでいて、なんか友達でもないみたい。バンドから電話かかってきて、ツアーやるよ、84か所だから楽だよ!とか色々言われるんだけど、ドレイクはヤル気ないみたい。

エンドロールで、「これはカート・コバーンの死にインスパイアされて作ったけど、伝記ではない」みたいなことが書かれていたけど、んじゃなんのために作ったのだろうか?キム・ゴードンが出ているので、カート・コバーンと親しい人たちが作った映画だと思うのだけど、なにを表現したいのか全く伝わってこない。

今観ると、汚い無責任な子供たちがお金を持って好き勝手なことをやっているなあ~としか思わないけど、若い時はこういうだらしない生活が「反社会的」で美しいというか、「アーティストっぽい」というか、グラマラスに思うべき、と思っていたけど、今観ると惨めだよな~。考えてみると、若い時からこれって「やっぱりアーティストは違うよなあ~」なんて憧れるべきことなのか?と疑問に思っていたけど、「うーん、ニルバーナはすごいバンドだから、きっとすごいんだろう」って勝手に納得していた気がする。

でもなんか、この映画を観ると、ブレイクは、社会から恩恵を受ける、お金とか、人気とか、承認とか、そういうものを手に入れても全く幸福ではなくて、却って要らん人間ばっかり寄って来るわ、要らん責任が派生するわ、面倒くさいだけと感じているんだなあと思った。

きっとカート・コバーンもそうだった、と、そういう側面を描きたかったのかなあ。なんかでも、こういう映画作るべきじゃないんじゃないかと感じた。なんか、カート・コバーンっていう「人間」をガス・ヴァン・サントが表現したい世界を表現する「道具」にしちゃっているというか。

『ボヘミアン・ラプソディ』とかもそうなんだけど、伝記映画を観ると、実在の人物が、その役を演じた役者に取って変わられて、その「神話」だけが生き続ける気がする。そうなると、本当の「その人」にはなんの意味もなくなって、「フレディ・マーキュリー」とか「カート・コバーン」というキャラクターに成り下がってしまう気がする。

若い時はそういう「伝説の人」になるってすごいじゃん、って思っていたけど、このトシになるとそれって「商品化」されるってことなんだなって思う。
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