Foufou

籠の中の乙女のFoufouのレビュー・感想・評価

籠の中の乙女(2009年製作の映画)
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邦題、センスなさ過ぎ。
もはや罪深いよ。

初期のラースかハネケか……ってな感じで冒頭からカルト感がすごいんです。ところが徐々にわかってくる。見えてくるんですよ。そこがいいの。なのに、この邦題……。

猫に枝切り鋏がぶっ刺さったときにはさすがに驚きましたけど(たぶん、じっさいにアレはやってる)、アイルロフィリアのワタクシとてそんなことで憤慨したりなどいたしません。それはそれ、これはこれです。でね、カルトのままいくのかなぁ……と思って見ていると、これがあなた、見事なブラックユーモアに昇華する。

シュールといえばシュールだが、そう見えるだけ。狂気、という感じでもないんです。これは、わかる。我ごととして、わかる。家族(あるいは家族というイデオロギー)の破綻、もしくは父権の揺らぎってのは、とどのつまりこういうことだと、理解されるわけです。一例を挙げれば、父と母の結婚記念日に、息子がクラシックギターを弾き、それに合わせて姉妹が奇怪極まりない踊りを披露する。妹が疲れて脱落するが、姉は頑張る。で、途中から、フラッシュダンスを踊ってるわけ。父親の当惑ったらない(笑)。

本作で初めて、監督とエフティミス・フィリップが脚本の共同クレジットになっている。これを皮切りに、『アルプス』『聖なる鹿殺し』までこのコンビ、『ロブスター』はヨルゴス・ランティモスの単独クレジット。で、『女王陛下のお気に入り』では監督は脚本にクレジットされず、脚本はデボラ・デイビスとトニー・マクナマラとなっている。アカデミー賞候補の『哀れなるものたち』はトニー・マクナマラ。

『女王陛下のお気に入り』があまりにもよかったので、監督に何があったのかと。『ロブスター』も『聖なる鹿殺し』も独特の不穏さを持った良作でしたけどね、その路線を綺麗に捨てちゃったわけです。で、よりによって史劇の、それも権謀術策ものという「大作」が、なんともピタリとハマったわけです。突然、巨匠になった感じ。これって、なんだかすごいことなんでないのか。

俄然、『哀れなるものたち』への期待が高まります。
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