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ブルーベルベットのriyouのレビュー・感想・評価

ブルーベルベット(1986年製作の映画)
4.6
ネタバレあり


聴覚を司る器官としての耳、の機能的本質は鼓膜にあるが、記号的本質は耳介にある。そのズレを見落としたところからジェフリーの一連の悲劇は始まっていた。彼は耳を拾ったと思っていただろうが実は耳を拾えてはいなかったのである。機能的には耳を取りこぼしていた。彼がそれを拾った時点で飽くまで耳のある本質は不在であり、真実は不在であった。だから「この世は不思議なところ」なのである。

フランクはドロシーとの「世にも不思議」な行為中、何度も「見るな!」と叫ぶ。蓮實重彦が言うように、見つめ合うふたりの瞳を同時に画面に収めることは原理的に不可能であるが、「見るな!」という叫びによって、その直前に視線が交わっていた可能性が示唆される。おおかたの映画が、不可能である「見つめ合うふたりの瞳」を表現しようと努力しているのに対して、この映画は視線を交差させることを平然と拒否してみせる。しかしその拒否を通して、かえって、カメラには映らなくても視線は交わりうるという事実が不思議と現実感を帯びてくる。

フランクは「ママ」と行為をする。彼はドロシーに「ママ」の役を強要するが、彼自身、自分の作る倒錯した劇に没入しきれていない。だから、ドロシーに見られて生身の自分が露呈することを極度に恐れ、互いの肌と肌の間にベルベットを挟むことで完璧な肌を仮構し、生身の肉体が露呈することを拒む。
平和な日常の裏には怖い大人の爛れた世界がある。と思いきや、実は当の大人にもその世界は手に負えていなくて、ブルーベルベットの柔らかな肌触りを触媒にして、どうにか必死に、成り立たせようとしているのだ。
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