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ドリームのriyouのレビュー・感想・評価

ドリーム(2016年製作の映画)
3.8
ネタバレあり



1961年、アメリカ。三人の黒人女性が周囲に何もない一本の長い道路の上で、動かない自動車を囲んで軽口を叩きあっている。三人の名前はキャサリン・ジョンソン、ドロシー・ヴォーン、メリー・ジャクソン。この映画の主役たちである。するとそこに道路の後方からパトカーがやってきて、彼女たちの自動車のところで停車し、警官の白人男性が降りてくる。
彼は三人の身元を確認してから、動かない自動車に目をやり「レッカーしてやろうか」と言う。自動車とは自ら動く車だ。そしてレッカーとは自動車が別の自動車を牽引して運ぶことであり、自動車にとってこれほど滑稽な光景はなく、この提案は当の自動車への最大の侮辱である。三人は提案を断り、そして迷いなく車内からドライバーを取り出して、なにか何千回もやってきたかのような仕草で、それを自動車のエンジンルーム内のとある点に接触させる。するとさっきまで一向に動こうとしなかった自動車が、嘘のように動き出す。
この冒頭のシーンは本作を象徴するシーンだ。彼女たちは次々現れる壁をごく簡単そうな動作で魔法のように乗り越えていく。(本当はそんな簡単に自動車が直るはずないしそんな簡単に計算できるはずがない)
先のシーンで彼女たちが何を動かしたかというと、それはもちろんエンジンであるが、視覚的なイメージとしては自動車についたタイヤである。本作において動きは常に円のイメージで現れ、それを回転させるのは彼女たちである。なぜならタイヤを見ればわかるように、円滑に動くには円形が最適だからである。対して彼女たちの前には矩形のイメージが壁として立ちはだかる。家の壁を見ればわかるように何かを阻むには矩形が最適である。円形では隙間ができる。
たとえば会議室の扉が、トイレの横に付けられた非白人専用を示す板が、箱状のIBMコンピュータが、彼女たちの前に冷たい矩形のイメージとして現れる。しかし彼女たちは扉を開け、板を破壊し、コンピュータを動かしてみせる。
円形のイメージは、地を這う自動車のタイヤに限らず宙を動くものも含めてあらゆる運動にとって自然で最適であるから、トイレ横の醜悪な板を破壊するときのハンマーの軌道は円形であり、会議室の扉が開く軌道もやはり円形である。ドロシーの手でコンピュータが起動されると矩形の中でふたつの円が高速で回転し始め、先までの矩形のイメージの冷たさが無くなり途端に生き生きとしてくる。
そして彼女たちの大目標は、地球の周囲に人間を飛行させることであり、当然その軌道は(楕)円形である。この映画において、動的で最適で自然な円形のイメージはあらゆる場所で静的で不自然な矩形のイメージに勝利する。ここでも打ち上げは見事に成功し飛行士ジョン・グレンは地球周回軌道上に乗る。
ところで、この映画が最も盛り上がるのは宇宙船が大気圏に再突入するシーンである。そこにはサスペンスがある。なぜここにサスペンスが生まれるのか。ここまで見てきたように、冒頭で魔法のようにタイヤが回転し始めて以来、矩形に対する円形の勝利が再三描かれてきて、私たちはすっかりそれを見慣れている。だから宇宙船が打ち上げられて(楕)円軌道に乗ることに不安は感じない。しかし大気圏再突入は、(楕)円軌道から放物線軌道への移行であり、繰り返されてきた円形のイメージを放棄するような運動であるので、彼女たちに成し遂げられるかはわからない。ここにそれ自体は平凡ながらもサスペンスが生まれる。またサスペンスの最中、宇宙船の内壁に付けられた星型の部品が、ジョン・グレンの肩越しに唐突にスクリーンに映される。私たちの見慣れた円形でも矩形でもない新奇なイメージの強調により、ますます不安感を煽られる。
サスペンスの結果は映画を観た通りである。宇宙船を円形の軌道から離脱させ地上に降ろすのに成功したことで、三人は矩形と円形の対立を越え、統合の象徴となって映画を通してスター(星型という新しいイメージ)になったのだ。

差別は矩形だから、つまり不自然で最適でないから間違っている。運動にとって最適な形すなわち円形を取ろうとすれば自然と差別は無くなるだろう。本作は物語を通してそう主張しているし、視覚的なイメージを通して極めて映画的にそう主張している。
しかし私は映画から離れてひとつだけ訴えておきたい。たとえ差別が自然な形を取ったとしても、最適な形を取ったとしても、決して許されるものではないということを。どうしてもこのような映画では、何かを成し遂げるような人物が差別を乗り越えることになる。しかし英雄たちの裏には(敢えて強い言葉を使うと)馬鹿で無能力で道徳心もないような黒人女性がたくさんいるのである。ともすれば彼女たちの存在を忘れてしまうかもしれないと思ったから記しておいた。Hidden Figuresの裏によりHiddenな人々がいたはずだ。同様に彼女たちも差別されるべきではない。
もうひとつ言っておきたいのは、NASAは当時でさえこんな遅れた組織ではなかったらしいということだ。ネットで読んだドリーム関連の記事によると、実在のキャサリン本人は当時を振り返ってNASAで特に差別は感じなかったと述べているそうである。トイレも同じものを使っていたという。NASAが不必要に貶められるのは嫌だったので書いておいた。もちろんこれは差別史の映画ではなく差別の映画だから大した問題ではないが。


最後に、もし「婚約指輪はなぜ美しいか」と問われたら、私は「円形だから」と答えるだろう。



宇宙を飛行した最初の人間と同じ名前を持つ男と一緒にこの映画を観られてよかった。ありがとう。
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