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スター・ウォーズ/最後のジェダイのriyouのレビュー・感想・評価

4.1
ネタバレあります。


ベニチオデルトロ扮するDJは吃音持ちだ。彼が発する言葉の最初の音は何重にも重なり少しずつズレて広がっている。その孤独な輪唱は、すっかり貧しいものとなってしまったスターウォーズという制度が、尚その事実から逃れようともがく軋みの音である。なんて言うのは勇みすぎだろうが、激しい称賛と非難を浴びている『最後のジェダイ』を観れば、伝説的シリーズ『スターウォーズ』が今、物語に新たな一ページを加える現場で必死にもがいていることは確かにわかると思う。

"物語"を始めることは酷く簡単で無責任で、終わらせることは非常に難しい。しかし、かといって終わりに向かって進まずにいるということも難しく、始めてしまったからにはまだ見ぬ終わりへと行進し続ける。そんな物語に対して吃音はごく小さな抵抗を唐突に行う。言葉が吃る一瞬の間、物語は停滞し、新しい意味を提供しなくなる。ほんの一瞬、意味は遅延され、音が先走る。本作がやろうとしたのは、無責任にも始められてしまった壮大な物語を、終わらせることが叶わないなら、せめて遅延させ停滞させることであり、痙攣させることである。吃るときの口腔内の痙攣、焦燥感、徒労感をスクリーンに映すのだ。

ルークの住む孤島に空いたダークサイドの穴の中で、合わせ鏡の前に立ったときのように、無数のレイたちの列が果てしなく伸び、少しずつズレて同じ動きをするシーンがある。まさにレイの存在が吃っており、意味になかなか辿り着けない徒労感を味合わされる。五音かけてまままままだ"ま"しか伝達できないもどかしさ。
観客が意味のなさに耐えられなくなるのと、映画が新たな意味を映し出してしまうのと、どちらが早いか。
レイとカイロレンのフォースチャットのシーンでは、ショットの切り返しだけで、離れた場所にいるふたりが繋がり会話しているように見せる。その間内容としては進んでいるものの、スクリーン上の運動としては単調な繰り返しになっていて、連なるショットが吃っており疲労感と麻痺感を感じさせられる。
またもっと大きなストーリーの流れとしてみても、反乱軍の計画、行動は尽く失敗し無に帰してしまい、多くの命が失われる。私たちはその光景に非常な徒労感と停滞感を覚える。一方スノークはあっさり死んでしまい、反乱軍の空転状態とカイロレンの咄嗟の思いつきの首尾の良さとが、明らかにバランスを欠いて見えて、物語の機序を捉える感覚が麻痺してくる。
こうして僕たちは停滞感、徒労感に捉えられる中、ルークとカイロレンを巡る衝撃的な過去や、ワープ航法による雷撃のような特攻、(私の中では)スターウォーズ史上最高のライトセーバー戦であるカイロレンとレイの共闘シーンなどを勢いよく叩きつけられ酩酊させられる。何が何やらわからなくなる。

もし、この映画が"駄作"だとしても、それはこの映画が感じさせる徒労感や停滞感のためではない。それは意図されたものであり、スターウォーズという物語装置を一瞬でも停滞させようという試みとしては成功しているからである。DJという名前の人物が口でスクラッチをしていることからも、停滞が意図されたものであることは明らかだろう。
では駄目だったとしたら何が駄目だったのか。
本作において、反乱軍やファーストオーダーやスノークやルークといった可視の装置に対して疑問符を投げかけ停滞させることに執着しそれはある程度成功している。だが、重力やフォースや愛といった不可視の装置に対しては驚くほど無批判に物語のために利用して憚ることのない点が、この映画を退屈にしているのである。重力は、まるで地上のように宇宙空間で力を発揮する。フォースは自由奔放に、遠く離れたふたりを会話させ、半実体的な身体を創造させ、意識を失った身体を宇宙船に引き戻す。それぞれのシーンで、瞬間画面が醜く弛緩する。それは不自由を自由と取り違えた結果であり、不可視のものを可視のものにしようと思い立った瞬間の醜さである。同様に、不可視の愛をキスとして可視化しようとした瞬間、画面は緊張感を失ってしまう。これらのこと自体が悪というより、可視可聴の装置に対しては執拗に吃らせ停滞させているのに比して、不可視の装置への無批判さが際立って問題となっているのである。
この映画が退屈だとしたなら、それは可視の装置を壊そうとしたからではなく、可視の装置"だけ"を壊そうとしたからなのである。退屈だとしたなら、それはスターウォーズを壊そうとしたからではなく、スターウォーズを"意気揚々と"壊そうとしたからなのである。スターウォーズという物語装置とそれを根本のところで支えている決定的には視えないものたちフォースや愛を十分に恐れなかったことが失点だったのだ。

それでも尚この映画が良い映画であると僕が断言できるのはカイロレンがいるからである。カイロレンは自軍をではなくスターウォーズを救ったのだ。スターウォーズの全てを破壊すると叫んだ男が奇しくもスターウォーズを救っているのである。彼はスノークやルークや反乱軍やファーストオーダーだけでなくフォースや愛を恐れている。そして何より、物語を破壊すると宣った人間が物語自体を救ってしまうことがあるということを知っていて恐れている。それを感じるには、彼がレイに手をさしのべて振り絞った"please"の声の震えだけで十分ではないか。
ある一言で不可視だった愛が視えてしまうかもしれない。そうしたら事態は確実に動き出して、理想が具現化されるかもしれないし、決定的な破局を迎えるかもしれない。僕たちが普段友だちと話すときだって常に恐いはずだ。ある一言や行動で今まで視えていなかった何かが視えるようになり、重大な局面に突入するかもしれない。少なくとも僕はいつも恐い。あるいはフォースを遂に行使し他人と衝突するとき、必ず自分か相手が傷つくだろう。カイロレンが言葉を発するとき、フォースを使うとき、彼の表情や仕草からは恐れを感じるのだ。既存の物語の破壊をもっと意気揚々と宣言してもよいはずなのに彼がそうせずにpleaseとお願いをするほど謙虚で弱気なのは、反物語的な振る舞いすら物語に歓迎されてしまうことをわかっていて畏れているからだ。それでもレイと一緒だったら、一歩外に出られるかもしれない。微かな希望がpleaseを発させたのである。


映画として、物語のあらゆる可視の装置を疑問視し停滞させようとしてるにもかかわらず、不可視の装置は割と野放しになっている。その中で孤軍奮闘不可視の装置をも疑い恐れているカイロレンはスターウォーズという物語に疑義を唱え破壊しようとするが、悲しいことにそんな彼自身も物語に回収されてしまうのは避けられない。そのことも彼はよく知っていて、それでもなんとか物語に抗おうとする。
本作をもって、僕はスターウォーズに初めて感動し勇気を貰った。僕にとってのスターウォーズはEP789になりそうだ。しかしながら、旧作ファンたちの悲鳴を聞くと可哀想でしかたない。僕は楽しめて幸運だったなぁと思う。
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