パケ猫パケたん

暗殺の森のパケ猫パケたんのレビュー・感想・評価

暗殺の森(1970年製作の映画)
5.0

~午前十時の映画祭13より~

・巨匠ベルナルド・ベルトルッチの代表作のひとつ💯

・ヴィットリオ・ストラーロの撮影の美しさ、移動撮影の妙味が冴え渡る💯

・繊細なる光によるクワドリ教授(=ゴダール)殺し 
劇中の電話番号は、当時のゴダール監督のそれ、白い碑文の廊下を花束を持って通過する男

・ファシズムと同性愛など、究極のテーマに挑んだ作品である


『暗殺の森』 (1970)
🇮🇹 イタリア 🇫🇷フランス 🇩🇪ドイツ    
              110分


●キャスト

原作 アルベルト・モラヴィア
   (『孤独な青年』)
監督 ベルナルド・ベルトルッチ
脚本 ベルナルド・ベルトルッチ
撮影 ヴィットリオ・ストラーロ
音楽 ジョルジュ・ドリュー
美術 ネード・アッツィーニ
衣裳 フェルディナンド・
   スカルフィオッティ
編集 フランコ・アルカッリ


●スタッフ

ジャン・ルイ・トランティニアン
(マルチェッロ・クレルチ)
ステファニア・サンドレッリ(ジュリア)
ドミニク・サンダ(クアドリ夫人)
エンツィオ・タラショ(クアドリ教授)
ピェール・クレマンティ(リーノ)
ガストーネ・モスキン(マンガニエッロ)
ホセ・クアギオ(イタロ)
ミリー(マルチェッロの母)
イヴォンヌ・サンソン(ジュリアの母)


・クレジットの後、ラジオ局で映画📽️は始まる、艶やかな女性三人による明るいコーラス、ラジオ、音声、ファシズム当時は音声の演説に人々は酔っていた、
音声、これも確固たる実体は無い、映画📽️はまた、女性の儚い歌声で終わる

・マルチェッロの登場シーンは、タイトルクレジットの側にある 赤、青、緑の色が点滅する、妖しいライトに照らされている、何か(政治体制とかに)移ろい安い男の姿である
赤、緑はイタリア国旗の配色である
同時に、光の三原色
だから、マルチェッロは、当時のイタリアの象徴であり、軽薄なファシズム男の象徴であり、カラー映画の象徴でもあろう

・ジュリアの目立った初登場シーンは、窓のブラインドカーテンの影に照らされていて、まるで、モノクロ映画の典型、象徴の様でもある、ワンピースも白と黒の柄である、美しい
そして、縞模様の影が上下する撮影の美しさ、そしてキャットダンスが可愛いらしい

・クアドリ夫人の登場シーンは、真っ暗な影の中から、薄明るい赤い照明の中に
歩んで来る、印象としては、やはりモノクロ或いはセピアカラーである
だから、純粋かつ確固たるものを持っているので、女性の眷族であろう
少し男装の麗人ぽい歩き方をするので、
萌えてしまう

・クロード・モネの絵画『印象・日の出』みたいな画面があって眼福

・白い内装のパリのレストランで、ジュリアとクアドリ夫人が踊る一連のシーケンスは、映画史上に残る
まず女性同士なので、政治体制などの違いを超えて、モノクロ同志の純粋な自由さで曳かれ合う
ルノアールの絵画のような華やかさの中で
輪になって踊る動きは、アンリ・マティスの絵画、『ダンスⅠ』を彷彿とさせて、優雅であり、鳥肌でもある
また、窓の赤い枠は如何にも、ペンキで塗ったように唐突で、青(外の色)、白、赤の配色は、ご指摘の様に、フランス国旗である、自由の象徴
また、ダンスの輪が回転する様は、映写機の中のフィルムのようでもあり、絵画➡️ラジオ➡️映画と、映像の世紀が、まず、フランスで構築されたとの想いがした

・新婚、マルチェッロとジュリアの、列車内での抱擁シーンが、また、見事で
スクリーンプロセスにより、車窓に海岸が撮されている
昼下がり、夕方、日没、とマジックアワーな時間帯が過ぎていく
時間の変化に合わせて、車内に当てられる照明の色も微妙に変化していく、更に、窓に映る男女の影の移ろい
男と女の逢瀬、映画📽️のひとつの完成
車内の会話が、秘密めいた話しでリアリティーがある、人間存在の不可思議さ
そして、同時に作り込めば込む程に、
技巧に凝れば凝るほどに、夢の如く、あやふやに感じてくる、映画自体の存在

・仰る通り、暴力的なマンガニエッロは、マルチェッロの幻想なのかも知れない

・サンドレッリ、ドミニク・サンダは元より、マルチェッロの母、ジュリアの母も大変、美魔女🧙‍♀️👱‍♀️✨で良かったです😻🌺

・パリの高級店でのショッピングの場面、最高、ウィンドウの飾りが美しく、意識の流れと、音楽が交差するシーケンス、人間に生まれて良かった


・マルチェッロがファシズムに傾倒した
その理由

没落貴族であり、社会主義とは違って、
イタリアファシズムは、その権利を認めていたこと

幼少期に、男色の経験があり、彼はバイセクシャルであるが、どちらかといえば、男色の傾向が強くて、その内なる衝動を消そうとして、「普通」になるためにファシズムに傾倒したのであろう

・同じバイセクシャルであるクアドリ夫人に、運命を感じてしまう、欲情してしまうマルチェッロ


・ベルトルッチの視点 

流麗なカメラワークで撮っていたが、白樺の林の暗殺場面では、手持ちキャメラとなり、暗殺の残酷さを強調している
芸術的な見地では、やや安直な表現に成ったかも知れないが、ファシズムを否定している事が分かりやすい
それと、この手持ちキャメラでも、屈指の名場面としてしまう、ベルトルッチ&ストラーロの才能の凄さ
つまみ食いをする家政婦の女の子を、描写するなど、ベルトルッチの優しさも出ている


・プラトンの洞窟の比喩の場面

クアドリ教授のセリフ
「われわれが現実に見ているものは、
存在の影に過ぎない」

映画📽️とは、フィルムに焼き付けられた存在の影の連続のトリックなのだから、実にあやふやなものである、次元や時間を変えれば、存在しないものなのかも知れない

また、愚かなる人類に適した、社会体制も、社会主義、民主主義等を含めて、存在するのかも懐疑的である、
何故なら、ラストシーンの、ここは、
永年の人類の歴史を見てきたコロッセオ(闘技場)であるから

しかし、ベルトルッチは懐疑的な気持ちを持ちつつも、後年、共産主義、北アフリカ、中国、仏教にまで、作品を通じて探索を行っていく、砂漠の舟のように

また、映画📽️が、ラジオに退行して、更には、松明に照された古代の洞窟画と等価になるように見える、
ラストシーンも見事である

ものの哀れ




TOHOシネマズららぽーと福岡
screen 4(多分、人生初貸切状態)(爆音)
(町山氏、解説有)
2023ー109ー88

中洲大洋映画劇場
大洋1(爆音)(軽く耳栓付けて😿)
2023ー118ー96