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真夜中のカーボーイのninjiroのレビュー・感想・評価

真夜中のカーボーイ(1969年製作の映画)
4.2
確かな夢は、見付からない。夢はあっても、叶わない。

都会には見も知らぬ者を顧みる者はなく、故郷にはその群れの意に沿わぬ者を笑う者ばかり。
「アメリカン・ドリーム」は誰の目にも触れるように、しかし何人の手にも届かぬ高額な出物としてショーケースで売りに出され、目を瞑って差し出した手を掴む人は無く、無為の手は寒空の下で枯枝のように虚空を掻く。
漠とした夢はあっても、それを人へは語れない。
確たる夢があったとて、何から手を付けて良いかは分からない。
旅立ちがこれまでに溜まった澱を全て精算してくれると信じて揚々と街を出ても、それは暫しの暗転の後に景色様相が変わっただけ。またぞろ繰り返すのは、せめて泣きっ面を人に見せないように強がる自分を惨めに演じる無間のステージ。
何処へ行っても変わりはしない。
自ら我が身を人に晒そうとも、いつしか願わず人から人へと晒されて、幕間の無い現実から逃げ果せる術はない。

独りで今いる場所から逃げる事ばかり考えていた。
独りでは何も出来ないと悩んでいた。
孤独というものが誰かと共有出来るものだとは思わなかったから。
こんなにも人が溢れているのに、暖かな灯りは俺のものにはならない。
こんなにも人が溢れている中で、俺とお前二人で居ながら震えている。

散々手垢の付いたものを俺たちは二人で指を咥えて眺めていた。
ああすれば良い、こうすれば良い、そうやって触れ合う中でやっと、もしかして俺たちは夢しか見られない生き物なのかも知れないと気付く。

誰が何と言おうと、ここが何処だろうと
俺はただ今お前にできる事を隅々まで探す。
そうする事で手当出来るのだろうか。
いつか癒される時が来るのだろうか。
間違え続けた道をそのままに、また何処かに辿り着けるのだろうか。
今目の前の事、明日の事、いつか泡のように綺麗に消えて、
そして今やもう、俺はカウボーイでもない。
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