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忠臣蔵 花の巻 雪の巻のshibamikeのネタバレレビュー・内容・結末

忠臣蔵 花の巻 雪の巻(1962年製作の映画)
3.5

このレビューはネタバレを含みます

風誘う 花よりもなお 我はまた 春の名残を いかにとやせん

新文芸坐 忠臣蔵祭り自分の中での最後の作品。ここ1週間毎日、忠臣蔵の映画。もう飽きた。おめえら義士じゃねえ!テロリストだ!と口が滑りそうになる。

劇場に貼ってあった解説を読んだところ、この映画は東宝の創立30周年記念作品とのこと。「その会社がある程度の規模に成長し、営業的にも、俳優の陣容においても充実しているときに、全社を挙げての大作、顔見世興行として映画化されることが多いのである。特に日本映画の主流を成す時代劇の分野においては、自社に属する俳優の充実がなければ企画されるものではなく、〈忠臣蔵〉の映画化は各社にとっては悲願の一つであったのである。」(以上、解説原文の一部抜粋)
忠臣蔵映画の多くがオールスター映画である理由はそういうことだったのか。そして、自分の大きな認識不足。それは一昔前は日本映画の主流は時代劇であったこと。今とは決定的に感覚が違う。いつの間に時代劇は主流から退いたのか。アメリカ映画から西部劇が減ったのも似たようなものだろうか。いやはや諸行無常。

さて、本作の内容についてですが、話言葉が現代調で内容理解は容易でほっと一安心。

オープニングクレジットで絢爛なバックに各俳優・女優の名前が達筆な字で流れる中、最後に登場するのが「三船敏郎」。一人スクリーンど真ん中に名前がデデンと出る。特別扱いというのが匂ってきそうなほど伝わり、隣のご老人なんかはむせていた。

御公家様が宿泊した宿に町民達が押し寄せて、あるものを分けてくれと宿屋に訴えるのだが、何と「風呂の残り湯」。飲むのではなく、家の風呂に分け湯するとご利益があると信じられていたらしい。ひぇー。で、登場する御公家様方が我々の想像している通りのマロって感じの人らなんである。志村けんのバカ殿が笑えなくなりそうだ。

地球儀が登場したりもするが、武士と地球儀というのがとても不似合いに感じた。

すべてはお前のせいだ!の浅野内匠頭を若大将 加山雄三が演じるのだが、非常に良かった。メチャクチャ生意気なんである。吉良の前で膨れっ面をしたり、すねた子どもなのである。あれは自分でもムカつく。吉良に少し同情しちまったぜ。監督の指示か、加山雄三の解釈なのか、加山雄三が当時天狗だったのか、よくわからないけど良い浅野内匠頭だと思った。ちっとも同情できなかった(笑)。
畳を500畳新調するとか職人が頑張っていたが、あの時点で家来やみんなでもっと強く言うべきだった。「今後、どんな意地悪されるかわからんから、今回は吉良にお金払いましょう。」と。所詮、たらればであるが。
松の廊下での刃傷沙汰を知った浅野大学が兄を恨む描写があるが至極当然だと思う。広島に幽閉されるしね。

吉良の方も憎たらしくて良かったのだが、本作では露骨に金と色を貪欲に貪るという人物像で悪党感がシンプルだった。あんな老人になったらヤバイ!
吉良が浅野内匠頭に金を渡せばいじわるやめたるよ、と言っていたのは少し親切だなと思った。

松の廊下で刃傷沙汰が起こり、赤穂藩へ事態を連絡するため、駕籠を走らせるのだが、自分はいつもこの駕籠がどうやって4日程度で江戸から赤穂まで行けるのか疑問だった。しかし、本作を観て疑問が解消された。駕籠を担いで走る人達は、走る区間が決まっていて、ひたすら中継していたのである。だから昼夜休まずに目的地へ向かうことが出来るということだった。ただ、中継先がどうやって気付くのかという疑問がまだ残る。

赤穂城開け渡しの準備で赤穂城の文書を燃やす描写がある。自分は常々いろんな文化や何やかんやがどうして現在まで伝わっていないのか不思議に思うことがあるが、こういった文書の破棄なども原因なのだろう。弱い者やしくじった者は文書や文化まで淘汰されてしまう。

劇中で「西へ上る。東へ下る。」とみんな喋る。今だと東京へ行くことを上京と言うし、お上りさんなんかと言ったりもする。昔は京都に天皇がいたからだろうか。天皇がいるところが高いのか。

大石内蔵助の廓遊びで、小さい女の子がたくさん登場する。今なら児童ポルノや何やかんや言われるだろうな、と思った。と言うか、本当にあんなに小さい女の子があんなに働いていたのだろうか?

大石内蔵助が江戸へ向かう途中の宿でオランダ人が登場し、息子の主税が「オランダ人が我々のすることを観ても、義のための行為と理解してくれるでしょうか?」とポツリと洩らす。若者のセンシブルな感じが出ていてようござんした。オランダ人は多分、チューリップと風車のことしか考えていないだろう。

南部坂雪の別れのシーンは最高に良かった。大石内蔵助だけスパイの存在に気付き適当なことを言い、浅野奥方の怒りを買う。そして、焼香さえ上げさせてもらえない始末。その夜、吉良邸討ち入りを奥方が知り、悔やんで泣く。この流れいいねぇ!

討ち入り前の集合場所のシーンが結構長く時間を割いていた。誰が言っていたか忘れたけど、敵前逃亡する仲間を受けて「人として大義を知ることと、することとは違う。」という台詞がカッコ良かった。命を捨てる前には色々感じやすく、思いやすく、不安定になるのでしょう。捨てるんだもの。

いよいよ吉良邸討ち入り。雪は止んで、自分はガッカリ。討ち入り中に火鉢の火を消す描写があり火事に配慮していたことが勉強になった。
三船敏郎の役って必要だったのであろうか?三船敏郎を登場させたいためだけの印象。チョイ役という訳でもなく重要な役でもない。まさに忖度が働いている感じ。中島そのみがちょっと出るが、いい役者だねぇ~。

パッと観た感じ忠臣蔵と言うと、忠実な家来達による主人の仇討ちと単純に済ませがちだが、中身を観ると幕府の御政道に抗議するためという大義名分があることが分かる。喧嘩両成敗の法度があるにも関わらず吉良に処分無しはおかしい!御家再興も拒否され浅野家ばかりメチャクチャだ!我々が天下に代わって裁きを下す!幕府の方々、あなた方の裁きが片手落ちであったため、不満を持つ人間が大暴れしますよ、今の御政道には問題がありますよ!というところであろうか。御政道への抗議と主人の仇討ちが一致しているのですね。

御政道への抗議という大義名分があるからこそ、赤穂浪士47人は復讐心のみで動いたテロリストではなく、天下のためを思って行動した義士として21世紀になっても我々の知ることとなっている。命を掛けての御政道への抗議。命を掛けての主人の仇討ち。

映画と史実では随分事実関係が異なるそうだから、事実は知りたいような知りたくないような。
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