純

話の話の純のレビュー・感想・評価

話の話(1979年製作の映画)
4.4
ストーリーというものがあるのだとしたら、その展開については全然理解できなかったけど、30分間漂う異様なほどの哀愁が頭から離れない。何がどうというわけではないんだけど、ひたすらに切なくて悲しくて不安になる。

灰色のオオカミは森の奥に暮らしていて、ひとりで食事を摂っているかと思うと(焼き芋を食べるシーンも、とっても可愛らしいんだけど何となく物悲しい)人家にそっと佇んでいることもある。そして人気のない森の秋と冬の描写がこれまたどこか空虚で寒々しい。オオカミの見た目も何となく不気味だし、キツネのようにも見えるし、全体として存在も生き方も輪郭がはっきりしない。ぼんやりとしている。そして同時に断片的に描かれる人間界の様子も曖昧で、「過去」「記憶」が現在と交錯するような造りになっているのかな、くらいしかわからない。

戦争で夫や息子を失った女性たちの空っぽになった生活や、「ご主人、ご子息は勇敢に国のために戦って死亡いたしました」という通知の残酷さについてはわかりやすく描かれていた。何が国のためだよ、勇敢にだよ、という憤りよりも、それによって生まれた悲しみ、やりきれなさ、救われなさ、喪失感をスクリーンいっぱいに表していて、やっぱり痛くて苦しい感情が沸き上がる。

幸せだった頃の記憶なのかよくわからないけど、一直線上で誰かは楽器を弾き、猫は魚を追いかけ、女の子は牛と縄跳びをして、お母さんは赤ちゃんのお守りをして、という場面の繰り返しが印象的だった。少し揉めてるような描写もあったけど、あんなことで揉められるような世界が、そんな平和な世界が戦争が始まる前には確かに自分たちのものだったんだっていう、やりきれない悲しさや懐古の念がこめられているのかな。ひとりになって寂しく縄跳びをする牛も、いやいや赤ちゃんのベビーカーを揺らす女の子も、あの頃の孤独や不満だって、今から見れば贅沢だったんだって、気づくんだろうか。そんな残酷な発想を、ひとに与えてしまうんだろうか。

皆すれ違っている。皆あまりに不穏な世界の中にいるから、物に限らず、形のない大切なものが足りなくても諦めてしまっている。染まってしまっている。人間たちは過去を振り返ることである意味現実逃避をしている。灰色のオオカミはどうだろう。灰色のオオカミも、後半であの一直線上の世界に足を踏み入れるような描写があったんたけど、あれは一体何を意味するのか。オオカミは赤ちゃんを一旦は森に置き去りにしようとするけど、また戻ってきてくれる。それがどういう思いから起こった行動かはわからない。でも、悲しい中にもささやかな安心があるような、きっと害は与えないだろうという確信のようなものをそっと私たちに与えてくれる雰囲気が、あのオオカミにはあった。人間たちが喚き苦しみ悶える世界で、オオカミは独立した存在として描かれている。孤独で寂しげなオオカミだけど、精一杯に暗闇の中を生きていて、明日もきっと孤独でこれからも孤独だけど、そうやって生きていくんだって、きっと彼は受け入れている。

雪や雨の描写がとてつもなく綺麗で、時折眩しいくらいに美しい。私みたいな平凡すぎる感覚の持ち主にはあまりに芸術的すぎて、超越しているような内容と描写の数々だったけど、観終わった後の何とも言えない複数の感情を、これからも忘れずにいたいなと、もっと歳を重ねてもこの作品を観て哀しくなりたいと、しみじみと思わせてくれる作品だった。
純