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パリ、テキサスのninjiroのレビュー・感想・評価

パリ、テキサス(1984年製作の映画)
5.0
I knew these people.
ストリングスの震えは空っぽな心に虚しく響き続ける。

すれ違い続けるひとたち。

男は、ただひたすら何もない荒野を目指す。
悪ふざけのように名付けられたテキサス州はパリ。
かつて自分が命を授かった、かも知れない場所。
全てを喪い、こころまで喪った男が、すがるようにまた全てをやり直すために生まれ変わる場所なのか、それとも最期に還る約束の場所なのか。


劇中、かつて男と女と子どもを撮ったホームムービーを、歪な家族皆で観る場面。
映し出される幸せな光景の美しさ。
そこには父と母、ではなく男と女として愛し合う二人の姿、二人が子どもを心から慈しむ姿が収められていた。
その瞬間は、既に喪われた過去。
家族3人が揃って画面に収まることは、
この映像の中を除いて絶えて無い。

子供の人生の半分に存在しなかった父親と、
父親の人生の中にただ一つだけ残った子供。
車道を挟んで平行線に、お互いを見つめながら、長い距離をただ歩く。

歩く、歩く、歩く。
離れた気持ちに近づくために。

ついに二人並んで歩く後ろ姿を照らす夕陽は、堪らなく懐かしく、美しい。


生きるということは、喪い続けること。
生きるということは、死に続けること。
生きるということは、守り続けること。

距離や気持ちまでは埋まっても、
永遠に埋まらない心に空いた穴。
緩やかに死に至る身体、心は既に死んでいる。
たまたま救われたのは身体、
そこに死んだ魂がまだ燻り宿っていただけのこと。

そう、男は既に死んでいるのだ。

触れ合うことのない空間で向き合った二人、
男の長い独白が始まる。


ドイツ人であるヴェンダースが、憧れと感傷をたっぷりに、これ以上ないほど美しく「アメリカ」を切り取る。

その美しさにはエグルストンも嫉妬するのでは。


幼い頃の私に、映画とは単にビジネスとして一時の夢や娯楽を売るばかりではない、という事実を叩きつけた作品。
それ以降、映画というものを観るにあたっての指針とも言える程の影響を与え続けてくれた。
それ故自分の中でもどうしても特別な映画で、触れる事すら最早畏れ多い。
ひたすらマイベストの1位の座に置いておいたものの、私なんかがレビューするのはちょっと…という意味不明且つ後ろ向きな理由で、点数の計上のみに留めていた。
それがどうしたことか、恐らくそろそろ今年度最後になると思われるし、いっちょこの機にレビューしてみるか!と軽い気持ちで文字を書いてみたら、まあ指が進む進む。
とにかく大好きなんですね!

そんなバックグラウンドを差し引いても、そしてそれなりに長く映画を観た自分からしても、
やはり異常な傑作、と断言できる。
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