ninjiro

ファイト・クラブのninjiroのレビュー・感想・評価

ファイト・クラブ(1999年製作の映画)
4.1
売れ筋の車を買い、市場価格相応の注意を払って財産を保全し、標識の示す情報を基に走り、制限速度は程々に、赤信号で止まり、青信号でまた走り出す。自由自在に乗りこなしているように見えて、それはただ大昔に通った教習所のマニュアル通りの反復練習が功を奏し脊髄反応に見紛う程に慣らされた成果だ。路上に出た私たちは、すれ違うジャガーには呉々も慎重に、軽自動車やファミリーカーに対しては一か八かの勝負、あとは車列の最前列に立った貴方の視界情報に黄色の信号が飛び込んできた瞬間、どう判断するか。それがルールの限界、遊びというやつだ。
パリッとした高価なシャツに身を包むのは気持ちがいいものだ。何故気持ちがいい?本来身体が欲するのは馴染んでくたびれた安いスウェットかも知れないのに。
オーガニックという言葉がつくものには悪いものなんてない筈。何故そう思う?普段土に塗れることもなく、有機堆肥の製造過程や微生物や細菌なんてものからはずっと目を背けて生活してるのに。
私たちは何を以って輝かしい物質社会を謳歌していると言えるのか。
世の中は個々人の思う通りにはならない事ばかり。そこから目を背けるにはひたすらに消費を続けるしかない。消費社会に依存さえすれば当面の生きる意味ぐらいは安易に見付けられるからだ。
付け加えれば、情報過多と言われる現代においても如何にも偏った情報、殊更に争いや不幸ばかりがトップニュースとして扱われるのは何故か。自分よりもっと不幸な人間がいることにひと時の安心を覚え、実像としての自らは参加しない争いに無理矢理競ってヴァーチャルに参加し所在不明の溜飲を下げ、恰もそれが社会参加の一環であるかのように偽りの安心を得ることで、自分自身の置かれた有り様から目を背けることが出来るからだ。
誰もが解っている。自分が本来の欲求とは別の保全された社会の傘の下で静かに肩を寄せ合い息苦しく暮らしている事を。何処かで解っているから時に誰もが眠れない夜を過ごし、一夜の夢を物語に託す。本当に欲しいものから目を背け、誰かのオススメの映画を観る。しかし貴方が自由を求めるならば、夢の中、空想の世界にしか本当に自由な世界は存在しないのかも知れない。
ファイトクラブは勿論架空の物語だ。しかし全くの絵空事、他人事と捨て置く事など出来ない、疲弊した現代社会に生きる人々、我々の病理を余りにもリアルに、容赦なく詳らかにした危険な夜伽話だと言える。製作年が1999年であることを考えれば、そこから今日の私たちは加速度的に本作の主人公「僕」の置かれた境遇を身近に感じるようになったのではないか。孤独、苛立ち、成す術もない無力感。ここから更に傷口に塩を塗るように責任などといった世の中のあらゆる誰かの無責任の回避の結果を問われるという不条理な事象から逃れる為に只管頭を低くして地べたを這うようにして記号化した私たちが如何に窮屈に生きているかを感じないだろうか。20年近くの過去から今の私たちの窮状を予見し挑発し続けるような本作の存在は、神秘を湛えたある意味でのモノリスのようなものだ。
ファイトクラブに引き寄せられるのは、社会規範の中で単に生物学的男ということだけでそれ以上に過剰に男であることに関しては暗黙の自主規制を敷き、アダルトビデオで他人のセックスを眺め、気心の知れた仲間と群れた場だけでバカ騒ぎをし、FPSで独り画面上の敵や罪もない人に銃弾を浴びせまくり、一時だけ雄のアイデンティティを確認してはまた仕舞ってを繰り返し、情けなく生きる現代の全ての男ども。
彼らが生きる現実の世界は、誰も本気で殴りかかってくるような者など居ない安全地帯、しかし本当に言いたいこと、本当にやりたいことは誰にも山ほどあるはずなのに、誰もがそれを思うことすら憚るような世界は明らかに何かが狂っている。しかしそれを解っていながら安穏と受け容れている自分など徹底的に破壊されればいいという欲求。他方に向ける欲求や自由への渇望は常に一方通行の細道だ。欲しがれば必ず何処かで誰かの肩にぶつかる。ぶつかった先でまたぞろ、いやとんでもないそんなつもりじゃなかったんですと情けなく目をそらすのか。何故堂々と欲しいと言えない。むしろそんな自分に出くわすのが嫌で、また欲しがることからすら逃げ出すのか。現実の痛みを知らないまま私たちは骨が骨と打ち合う音を忘れ、言葉が誰かの胸を抉る瞬間の顔を忘れ、そのまま死んだような顔をして愚痴を零して生きるのか。

暴走する欲求。生きる意味への渇望。増殖する「僕」。
主人公である「僕」はタイラーと共にファイトクラブを創設しながらも、結局最後まで現実のファイトクラブには一線を引こうとする。起こる全てに対してどこか他人ごと。映画を観る我々と「僕」は全くの同一人物だ。
ラストシーンに挟まれるサブリミナルをどのように解釈するか。私達はもしかすると、既にタイラー・ダーデンという男を知っていたんじゃないか?
ninjiro

ninjiro