あんがすざろっく

許されざる者のあんがすざろっくのネタバレレビュー・内容・結末

許されざる者(1992年製作の映画)
4.2

このレビューはネタバレを含みます

僕は西部劇をそれ程多くは見てません。
にも関わらず、映画を見始めた頃から、西部劇の世界に憧れていました。

「ヤングガン」。「荒野の七人」。
牛追いツアーに参加した中年三人組のドタバタ道中を描いた現代劇「シティ・スリッカーズ」も、たまらなく大好きです。

アメリカの広大な大地を、馬に乗ったカウボーイ達が駆けていく。
ガンマン達の睨み合い。巻き上がる砂埃。
どうしてこんなに惹かれるんだろう。

恐らくそれは、遺伝子なのかも知れません。
僕がまだ母親のお腹の中にいる頃、祖父と母親はいつもテレビで西部劇を見ていたのだそうです。

僕の音楽好きは、音楽の仕事を生業にしていた父親の遺伝で、映画や西部劇が好きなのは、確実に母親の遺伝だと思います。




1993年、アカデミー賞を受賞したのがクリント・イーストウッドの「許されざる者」。
僕は高校生でした。
イーストウッドの映画は当時観たことはありませんでしたが、西部劇だし、アカデミー賞で話題になっていたこともあって、劇場に向かいました。

観終わって、ものすごい違和感が残りました。
こんなはずではなかったんだ。
僕が西部劇に持っていた活劇アクションのイメージが、そこにはなかったんです。

イングリッシュ・ボブが登場する意味も分からなかったし、アクションはほとんどないし、
暴力描写が生々しいし、何より長くて、暗い。



それから先も、西部劇は少しずつ見ていたけど、やはり活劇の部分が前面に出てくる作品が好きでした。

そんな西部劇に対するイメージがガラッと変わったのが、セルジオ・レオーネの「ウェスタン」。
こちらも見る人によっては冗長気味に思える程、時間の流れがゆったりしている。
それぞれのキャラクターの表情や心情の変化を丹念に追う。
決してテンポの良い作品ではないと思います。 
だけど、僕はその叙情的な映像、「西部劇は男の映画」と思っていた中、ヒロインのクラウディア・カルディナーレの美しさと強烈な存在感を目の当たりにして、「西部劇はこういう描き方もあるんだ‼︎」と痛く感動したのです。
20代後半という、見た時の年齢も丁度良かったのでしょう。




その後、「ミスティック・リバー」や「グラントリノ」など、だんだんとイーストウッドの魅力も理解し始め、そろそろ「許されざる者」を見返すには良い頃だろう、と、UNEXTで鑑賞しました。

年を重ねた分、作品の見方も変わって、初見の頃とだいぶ印象が違いました。

この作品で描かれるのは、人を殺めることの重大さ、殺めたことへの後悔の念。
その重さが、ずっと作品の底に横たわっているのです。




昔は残忍な犯行を繰り返し、札付きの悪党だったと噂されるウィリアム・マニー。
最愛の妻、クローディアと結婚し、真人間となったマニーは、子供にも恵まれたが、クローディアは病に倒れ、この世を去る。
農場を営んできたマニーだが、体はいうことを聞かず、生活は苦しい。

そんな中、若いガンマン、キッドがマニーの元を訪れ、賞金稼ぎの話を持ちかける。
まともな暮らしを誓ったマニーだったが、子供達を育てる為の資金もなく、再び銃を取り、キッドの旅に同行する。



馬で颯爽と駆けていくシーンよりも、上手く乗馬できずに振り落とされるイーストウッドの姿の方が印象的で、端から「かっこいい」西部劇のイメージを覆しています。
早撃ちの対峙も、バンバン大人数の男を矢継ぎ早に撃ち倒すカタルシスもありません。


賞金を目当てにやってくる者達も、決して手練れではない。
何人も殺した伝説のガンファイターは、平気で背後から相手を撃つような卑怯者で小心者。
賞金首を狙って勢いこむも、いざ相手を見つけたら、急に怖気付いて銃を撃てない者。
今までにも人は殺した、と息巻くも、実は一人も殺したことがなかった者。
誰もが話に聞く人間とは違って不完全です。


そんな彼らの前に立ちはだかったのが、西部の町ビッグウィスキーの保安官、リトル・ビル。
彼は今作でいうところの「悪役」にあたる訳だけど、僕はこの保安官が初見時とは違う角度で見れて、多分本作で一番真っ当だったのは彼なのではないかと思えました。




ことの発端は、ビッグウィスキーの娼婦が、カウボーイに顔や体をナイフで刺されるという事件。
犯人は捕まるが、リトル・ビルは事を穏便に済ませる為、カウボーイに馬を7頭差し出すように要求。
娼館を営む酒場の店主も、それで納得するが、娼婦達は自分達のプライド、尊厳を踏みにじられたことに憤怒し、カウボーイに賞金をかけて、殺してもらおうとする。

こうなると町には荒くれ者が集まるのは必至。
リトル・ビルは町にやってくる者全員に、保安官事務所で銃を預けるよう、締め付けを強める。
それは当然の保安官の職務。

リトル・ビルは、事件を起こしたカウボーイには暴力を振るっていない。
暴力で町が平和になるとは考えていないのだ。
しかし、然るべき相手には、話が別になる。

銃を隠し持っている賞金稼ぎには、相手の懐に入り込んで、銃を徴収する。
そして、容赦なく暴力を行使する。
同じような目的で町にやって来る輩への見せしめの為に、徹底的に痛めつける。





リトル・ビルは最初から丸腰の相手を痛めつけるのではなく、銃を持った相手を威圧感で制して、懐から銃を奪います。
終盤、武器を持たない酒場の店主がマニーに撃たれるシーンで、
「丸腰の人間を撃つとは、卑怯なヤツだ‼︎」と
ビルはマニーを罵ります。
マニーの怒りに火を注いだのはビルなのだけど、ビルは保安官の職務を全うしただけなのだと思います。
この複雑なキャラクターを表現したジーン・ハックマンがあまりにも素晴らし過ぎます。




主人公、マニーを演じるのは、勿論クリント・イーストウッド。
普段のストイックなイメージとは違い、情けない姿がとにかく印象深いです。
これが僕にとってのイーストウッド初体験。


死の公爵、イングリッシュ・ボブを演じたのはリチャード・ハリス。
伝説の殺し屋なのですが、呆気なくビルにのされ、大怪我を負って、町を追い出されます。
僕はこのボブのキャラクターの意味が、初見時は分かりませんでした。
何だ、全然強くないじゃん。

今回改めて見て、しっかりと腑に落ちました。
イングリッシュ・ボブはもともとそんなに凄腕でないし、どちらかと言えば、口先だけの男だったんです。
だけど、同行した小説家には自分が如何にスマートな殺し屋であるかを、話を誇張して語り続ける。

ボブの本質を知っていたビルに叩きのめされて、初めてボブが誇大宣伝なだけの男(相手と正面から対峙するような男ではなかった)だったことが、小説家にも観客にも伝わるのです。
賞金に目が眩めば、そんなボブのような連中でも町に群がってくるということです。


マニーのかつての仲間、ネッド・ローガン役にモーガン・フリーマン。
賞金稼ぎへの旅に同行し、マニーを時に鼓舞し、また若いキッドの弱点を早々に指摘します。
肝の据わりっぷりから非常に心強い存在に思えるのですが、人を殺すというのは、そんなに簡単な話ではなかったのです。



若いガンマン、キッドに、ジェームズ・ウールヴェット。
マニーには一目置いているところがありますが、ネッドとはどうしても反りが合いません。
自分の腕に絶対的な自信を持つ血気盛んな若者ですが、彼にも誰にも言えない秘密がありました。



旅を始めた頃、マニーはとても人を殺せるような人物には見えません。
長旅の果て、マニー達は賞金首のカウボーイを見つけ、仕留めようとする算段で、やはり銃の腕は落ちているマニー。
相手に深傷を負わせるも、命中はしません。
そのままジワジワと死んでいくのを待つのみ。
水が欲しい、と泣き喚くカウボーイですが、仲間は自分達も撃たれるのでは、と、なかなか近づくことが出来ません。

痺れを切らしたマニーが「撃たないから、水ぐらい飲ませてやれ」と慈悲をかけるのです。
やはりマニーは冷酷な人間にはなれない。

しかし、酒も断ち、真人間になったはずのマニーは、ある一件でついに復讐の鬼と化します。
リトル・ビルや保安官助手達が集まる酒場に単身乗り込み、情けもかけずに次々と男達を撃ち殺していきます。

最後、マニーは復讐を果たしますが、そこに爽快感や達成感はまるでありません。
彼の行為は、結局は人殺し。
もっと言ってしまえば、彼はビッグウィスキーの町に、この後暗雲と混沌をもたらすのかも知れない。町を守る者がいなくなったんだから。
勿論、娼婦達を丁寧に扱わないと、皆殺しにくる、という脅しはかけるけど、町の治安が保たれる保証はない。

女達も、マニーに感謝したいところだが、どうしても彼には近づけない。
むしろ、自分達が起こした行動の結末と、責任の重さを後悔しているのではないか。
暴力や金で解決しようとすれば、結局暴力で戻ってくる。



何という物語だ。
「イーストウッド最後の西部劇」と言われていたように、それまでの西部劇とは決別する覚悟でいたようですが、高校生の僕にはさっぱりだったのが悔やまれます。
お前が観るには早すぎるんだよ‼︎とその頃の自分を怒鳴ってやりたい(笑)。

無法者対悪徳保安官という西部劇の構図が、ガラガラと崩れ落ちていく。

西部劇はカッコイイだけじゃないんだぞ、なんてイーストウッドの声が聞こえてきそうです。
彼のメッセージは、20年以上の時を経て、僕の心に届きました。
いや、本当にイーストウッドが伝えたかったことではないかも知れないですけど。
僕はそう受け取りました。
セルジオとドンに捧ぐ、という献辞の意味。
ようやく分かりましたよ。

ロケーションの素晴らしさも、改めて気づかされました。
ビッグウィスキーの街並みや、遠方に見える山々。
マニー達の旅を見つめ続ける、美しい景色。
暗い物語の中、西部の風景はやはり素晴らしかったです。
旅の目的が違えば、マニー達にも自然の美しさは違うように見えたでしょう。



最後に。
初鑑賞時から今に至るまで、ずっと大好きだったのが、テーマ曲となった
「クローディアのテーマ」。
アコースティックギターが奏でるメロディに、徐々にストリングが重なってくる。
殺伐とした作風とは真逆の、どこまでも美しい調べ。
そして平原の向こうに沈む、美しい夕日。


イーストウッド扮するマニーが、心の平穏を再び取り戻せるように願うような余韻が残りました。
あんがすざろっく

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