あんがすざろっく

ゴッドファーザーのあんがすざろっくのレビュー・感想・評価

ゴッドファーザー(1972年製作の映画)
5.0
キリ番400レビューにあわせて。

今まで何度もレビューに挑戦しようとしましたが、どうも纏められる自信がなく。

だって、あのゴッドファーザーですよ。
フォロワーさんの中でも、いや数多の映画ファンの皆さんでも、生涯ベスト1にあげられることの多い作品、その影響力は、計り知れないでしょう。
しっかりしたレビューをあげなければ、マフィアに命を狙われてしまう😨

んな訳はないですが、やはり皆さんの熱い想いの籠ったレビューを拝読する度に、いやぁ、これは僕のレビューなんか出る幕はないな、と思いながら、行きつ戻りつ。

でも僕にとっても、マスターピースな一本であることに変わりはなく、ここは今一度見返して、レビューに臨もうと思います。



「アメリカはいい国です」

一人の男が話し始める。
彼はイタリアからアメリカに渡って、葬儀屋を生業にしていた。
大事な娘が交際していた男に乱暴され、一命は取り留めたものの無残な姿になったという。
話しながら涙ぐむ葬儀屋に、カメラを背にして話を聞いていた人物は酒を勧める。
葬儀屋は願い立てにやってきており、人前では話しづらい内容の依頼を、背中越しの男に耳打ちする。
カメラは瞬間回り込み、依頼を聞いて困ったような表情のヴィトー・コルレオーネを映す。

オープニングのこのシーンだけで、この映画がどれ程忘れ難く、どれ程雄弁で、どれ程愛される作品になったか、すぐに分かります。


実は僕の初めてのゴッドファーザー体験はテレビの地上波で、パート1と2の時系列を並べ直して編集した「ゴッドファーザーサーガ」でした。
だから後年、パート1と2を別々に見た時、一瞬その時系列に逆に戸惑ってしまったという思い出があります🥲
今はもう、頭の中は整理されてますけどね😅

それまで僕はマフィアの映画、戦争映画を見れなかったんです。
「アンタッチャブル」は好きだったけど、あれはアクションドラマの印象があって、僕の中ではマフィア映画の位置付けではなかったので。
まぁ、残虐なシーンで人が死んでいく、殺されていく、そんな作品にちょっとだけ恐怖感があったんですね。

ただ、それで名作を見逃しているのも勿体ない、「エイリアン」も克服したし、大丈夫‼️と自分を奮い立たせて、見始めたものです😓

映画が始まって30分程、作品はヴィトーの娘の結婚式の華やかさを余すことなく描いていきます。
あれ?これはマフィアの映画?
もっとバイオレントな描写があるのでは?
初めて見た時の僕の覚悟は、冒頭から違う作品を選んだのかな、と勘違いしたものです。

しかしその後、トムと映画プロデューサーのエピソードに移り、ここで僕は生涯忘れられないだろう、あの断末魔にぶち当たるのです😱
僕が今まで見てきた映画の中で、一番恐怖を覚えたシーンです。

盛り上げ方も巧かったんですよね、それまで家族の繋がりが深いドラマを見せてきて、ここでいきなり観客を恐怖のドン底に叩き落とす。
これがマフィアの映画でもあること、ここから熾烈な争いが描かれていくことが、はっきりと明示させられたんですから。


ルカ・ブラジとタッタリアの顔合わせ。

ヴィトーの暗殺未遂事件。

マイケルとソロッツォのレストラン。

洗礼式と平行して進む撲滅計画。

そして、前述の断末魔と同じくらい忘れられない、高速の料金所。

どの場面も、画力が鮮烈で、こういう言い方が正しいか分からないけど、僕はこの映画を見て「あっ、これが暴力の美学なのか」と直感的に感じたんです。


僕それ程詳しくないのですが、改めて見返して、カメラワーク?編集なのかな?余りにも美し過ぎて。
最初から最後まで、物語の展開の繋ぎが本当に綺麗だと思ったんです。
このシーンは、ソニーを遠目で映すとか。
隅々まで、本当に計算されて、絵に収まっている。
映画の視点はヴィトーからマイケルへとシフトチェンジしていきますが、この流れもスムーズで素晴らしい。

印象的だったのは、酒を飲むシーンです。
一つ目は、冒頭でヴィトーが葬儀屋に酒を勧める場面。
二つ目は、トムが「酒の力を借りて」ソニーの最期をヴィトーに伝える場面。
三つ目は、終盤マイケルがカルロに酒を勧める場面。

最初の二つは、相手への思いやりから、気持ちを楽にする為に口にする酒ですが、マイケルのは意味合いが違いました。
真実を吐かせる為だったんですよね。
やっぱりマイケルは、恐ろしい人物だったと思います。

初めはファミリーの仕事からは自ら一線を引き、堅気の世界で生きようとしたマイケル。
しかし、家族の危機を見過ごす訳にはいかなかった。

シチリアから戻ってきたマイケルは、人が変わったようでした。
そりゃ、あんな経験をすれば、どこかで人間が壊れるでしょうね。

ヴィトーは、マイケルにもっと上に立って欲しかった。
上院議員とか、州知事とか。
作品前半のマイケルは、確かにそれが頭の中でもイメージできるような人物でした。
もし、あの抗争がなかったら。
ソニーがドンになっていたら。

ヴィトーと話をする時だけ、マイケルの眼差しは優しく、声も優しかった。
父親が大好きだったから、家族を守りたかったから、マイケルはこの道を選んだんでしょうね。


フレドも切なかったですね。
武闘派のソニーや、頭のきれるトム、自ら自分の道を切り拓くマイケルの間に挟まれ、唯一押しの弱かったフレド。
彼はマフィアのファミリーには向かない人間だったんです。
それでも、カジノを任され、本人も初めての大役に張り切っていたに違いありません。

ヴィトーが退院し、みんなで集まって祝ったその後。
誰もいなくなったヴィトーの部屋に、フレドがふらりと入ってきて、椅子に座って項垂れます。

ほんの数秒、ともすれば見落としてしまいそうなシーンなんですけど、だからこそ、僕はこのシーンに特別な意味を感じてしまうんです。

フレドが何を思ったのか。
パパをこんな姿にしてしまった責任か。
カジノを任されたことを褒めてもらいたかったのか。

このままパート2にいくと、フレドがファミリーの中でどれ程生きづらかったのかが分かってくるんですよね…。

気は短いけど、家族想いのソニー。
多分、マフィアのドンになるには、ヴィトーとはまた違う素質がありましたよね。
ヴィトーはソニーに言いたいこともあったのだけど、妻のサンドラも薄々気付いていたのだけれど、浮気癖だけは治らない。
だけど、家族といる時だけは、ソニーはちゃんと家族の方を向いていたし、優しかったと思います。
カルロを痛めつけたのも、コニーへの暴力を許せなかったからですよね。

コニーは辛い結婚生活を送ることになりますが、結婚式でヴィトーと踊るシーンは、本当に幸せに溢れてましたね。




キャストも完璧です。

ヴィトーを演じたマーロン・ブランド。
当時既に名優と言われていた彼は、長いスランプに陥っていたようですが、本作の演技でアカデミー主演男優賞を受賞しています。
ただ(別な理由ではありますが)、ブランドはこの受賞を拒否し、賞当日も会場には現れなかったようです😨
そのカリスマ性は疑いようもなく、撮影現場では俳優達にとっての家長(正にゴッドファーザー)のような存在だったと言います。

マイケル役はアル・パチーノ。
本作公開時はまだ無名の俳優でしたが、コッポラ監督が彼の演技を気に入り、映画会社側からの圧力を跳ね除け、マイケル役に抜擢しています。
その後のキャリアは、もうご存知の通り。

ソニー役はジェームズ・カーン。
荒っぽい性格だけど、父親を尊敬しているし、弟達を大事にする姿は、人間臭くて好きでした。


孤児だった頃にヴィトーに拾われて以来、我が子同然のように育てられてきたトム・ヘイゲンに、ロバート・デュバル。
苗字が違うことをケイは不思議に思いますが、これにも理由があります。
実の子ではないのに、大学まで通わせてくれたヴィトーに言葉では語り尽くせない恩義を感じており、またソニーやフレド、マイケルにも、実の兄弟同様に強い愛情を抱いています。
法律的な面からファミリーを支え、マイケルからも違った意味で重用されます。
デュバルが静かながらも、頼りになるファミリーの頭脳を表現します。

フレドを演じたのが、ジョン・カザール。
兄弟の中では一番大人しく、ファミリーの人間としてはあまりにも優しすぎる為、一人浮いてしまっている感があるものの、ラスベガスでの仕事を任され、奮起します。
カザールは本作で映画デビューし、「ディア・ハンター」での名演も印象的でした。
その「ディア・ハンター」撮影中に肺癌を患い、撮影は終えましたが、公開を待たずに42歳の若さで亡くなっています。
メリル・ストリープとも婚約していた時期があります。
存命ならば、まだまだ沢山の作品でお目にかかっていたでしょう。

コニーを演じたのは、タリア・シャイア。
コッポラ監督の実の妹です。
タリア・シャイアと言ったら、もうエイドリアンでしょう。
本作はコッポラ監督の家族も何人か出演してるのだそうです。


僕が個人的に好きだったのは、コルレオーネファミリーの幹部、クレメンザです。
ファミリーには必要不可欠な人物で、料理も上手く、仕事も的確、やり過ぎることがないと、ヴィトーから絶対の信頼を得ています。マイケルにパスタの作り方を伝授しますが、これはまだファミリーの仕事を電話番ぐらいしか与えられないマイケルの気持ちを慮ったのではないかと、僕は解釈しています。
パート2ではこのクレメンザとヴィトーの出会いも描かれていますね。


名前が出る割には、タッタリアよりもソロッツォの方が目立ってましたね。
でも終盤5大ファミリーの会合の場にいたタッタリアは、何だか貫禄のない小悪党な感じがあって😆あ〜これじゃ周りから慕われないかなぁ、仕方ないかなぁなんて考えてしまいました。
息子のブルーノの方がいかにもって感じだったけど、知らない間にソニーに殺されてしまっているし…😓


それにしても、唯一不思議で仕方ないのは、アポロニアの存在です。
マイケルはケイという存在がいたのに、何故アポロニアと結婚したんでしょう。
ケイのことを忘れた訳ではないですよね?
逃亡の地で安息を求めたのかな。
ケイとの結婚は何故決心したんだろうか。
愛情より、ファミリーを築く為なのかな、やっぱり。
アポロニアの死の後、アメリカに戻ったマイケルはもう顔つきが違ってましたからね。

ケイが大事というより、父ヴィトーのようになりたかったのでしょうかね。

そう考えると、マイケルもケイも、運命を狂わされたんですよね…。
にしても、ダイアン・キートン、素敵だなぁ。歳重ねても素敵ですもんね。



脚本の段階から、本作の撮影がとても難航していたのは有名な話です。
原作者のマリオ・プーゾも参加し、コッポラと一緒に脚本を作り上げていますが、
監督がコッポラに決定するまでも時間がかかったというし、キャスティングについても監督と映画会社の間で衝突が絶えなかったり、監督降板が画策されたり。
一番大変だったのは、マフィアの存在でしょう。
内容が内容だけに、マフィアを社会悪として描いているのではないかと、実在のマフィアファミリーから製作にストップがかかったり、脅迫状が届いたりと、本作の製作自体が映画なんじゃないの?と思えるくらい。
その製作裏を描いた「ジ・オファー」というドラマもありますね。
ただ、ファミリーの人間が製作に口を出してきたことで映画にリアリティが増し、ファミリー側も態度を軟化させて、しばらくすると撮影に協力的になったようですね。

殺し屋のルカ・ブラジ役のレニー・モンタナは、撮影に見学に来ていた実在のファミリーの用心棒だったそうで、その風貌が気に入られてキャスティングされています。
カルロ役のジャンニ・ルッソも、実在のマフィアと繋がりがあったそうですよ。


そして、ゴッドファーザーと言えば、音楽です。
ニーノ・ロータが手がけたゴッドファーザーワルツ、愛のテーマ。
このメロディはもう、なかなか思いつかないコード進行が唯一の世界観を作り上げていますよね。

映画全体を覆う燻んだ色味は温かさが感じられ、これも独特の雰囲気を醸し出してましたね。
細かいSE、足音だとか、椅子から立ち上がる時のギシッと軋む音まで、全てが機能していて、瞬間瞬間の映像が丸ごと思い出せてしまいます。
どこまで計算された映画なんだろう。


作品は、まるで心を断つかのように、扉が閉じられます。
マイケルの心には、誰も触れることが出来ないのかも知れませんね。


最後まで見終えると思い出されるのは、やはり冒頭の結婚式のシーン。
30分近くかけて描かれた、あの祝宴。
みんな楽しそうだった。
幸せそうだった。
これはただのマフィアの映画ではなく、家族の歴史であり、愛を描いたドラマなのだなと、頭ではなく、心と体で理解できる作品でした。
映画の醍醐味を味わい尽くせる3時間です。


あぁ結局またダラダラと長いレビューになってしまった…
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