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マンダレイのdeenityのレビュー・感想・評価

マンダレイ(2005年製作の映画)
4.0
『ドッグヴィル』に引き続き、ラース・フォン・トリアーのアメリカ三部作の二作目。正式には三作目は無期限延期になったわけだから三部作と言えるかは疑問だが。できることならこの監督の斬新な切り口で三部作完結させて欲しいなと望む。

それは置いといて、前作の『ドッグヴィル』が私には猛烈な当たり作だったのだか、先に言わせてもらうなら今作はガッカリの出来。相対的に見ればそこまで悪くはないのだが、期待が大きかった分裏切られた感が大きい。俳優が変わってしまったのも大きいな。

今作は奴隷制度が未だに根強く残っているマンダレイという町が舞台。黒人奴隷問題を取り上げた作品はいくつかあるが、今作は自由を得たところでどうしていいかわからない、というのが問題となってくる。
冷静に考えればそうだよな、とも思えてくる。70年、いや、それ以前からずっとこの上下関係は変わらないわけで、そんな中突然自由になったって戸惑いしか生まれないよな。

グレースが掲げるのは相変わらず正義。だからマンダレイにも「自由」と「民主主義」を主張する。ただ、立場が変われば全てが変わるわけで、今作のグレースはあまりにも強引でわがままなお節介。権力を行使して無理矢理考えを根付かせようとする。形だけの思想の植え付けなんて無理な話。

黒人奴隷が望むのは最悪を避けること。ママの法律に守ってもらい、指示に従って働くこと。最低限の生活を送ること。規則を守ること。役割を果たすこと。それは自ら選択しないこと。白人のせいにできること。共同体として生きていくこと。
ママとの関係性もあったのかもしれないが、長く奴隷扱いを受けてきたならあながち理解できない考えでもない。ある意味、奴隷でいる方が幸福で、リスクもないのだ。

グレースが考えるのは当然誰もが平等で自由な生活を送ることで、それ自体は誰もが正しいとわかることだが、押し付けの正義なんて無意味であり、それは今を生きる自分たちにも言えるのではないか。
自分たちの心には差別心というものはどこかにありはしないか?偽善で差別撤廃なんて訴えてないか?
グレースがとった行動は最後には怒りに身を任せた、人間がやってはいけない行動だが、でもその構図自体は誰も違和感を感じないような行動。「自分たちを生み出したのは、あんたら白人だろ。」そう。そういったイメージも構図も考えも全部生み出したのは上流階層の白人である。押し付けがましい正義ではなく、見つめ直さねば。本当の自由・平等とは何だ。幸福とは何だ。
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