荒野の狼

ドクトル・ジバゴの荒野の狼のレビュー・感想・評価

ドクトル・ジバゴ(1965年製作の映画)
5.0
ブルーレイで本作を鑑賞。本作は大作であるにも関わらず、ブルーレイの場合一枚であるのでディスクの入れ替えの手間は不要。特典の副音声は主演のオマー・シャリフとサンドラ・リーンの英語での会話(日本語字幕付き)で、シャリフはまず本作が現代ロシアからの回想シーンの形式をとっているが、これは原作にはない設定で成功していると評価。サンドラは監督のデビット・リーンの最後の妻であるが、「リーンはこのように語っていた」などと間接的にリーンのメッセージを伝えている。
二人の会話とは別にロッド・スタイガーの副音声も二人の会話の間に挿入されており、こちらは極めてユニーク。俳優陣の中でスタイガーが唯一のアメリカ人であったのでアメリカの俳優でも格式のある演技ができるというところを見せることができたとか、階段から落ちるシーンはスタントマンが失敗したので自分でやった(その際もアメリカ風の演技をせずに抑えた演技をした)など演技の話も貴重だが、彼の演じた本作唯一の「悪人」と評されるコマロフスキーに対する解釈がコマロフスキー本人が語っているかのようである。ラーラとの最初の出会いでは完全に無視をすることで、相手の気を惹き、ラーラに撃たれても警官から守り、若いパーシャが出てきたときは恋敵として張り合おうとする、ラーラに頬を素手で張られた後も素手ではなく手袋で張り返すところがジェントルマンであると解説。直後にラーラを押し倒すシーンはスタイガーにとって最初で最後の女優とのロマンティックなシーンであるとしている。おそらく女性に対しても政略に関しても最低で巧みに立ち回っていたはずのコマロフスキーがラーラを愛してしまったために、報われないのがわかっていながら、アル中の醜態をさらしてまでラーラに救いの手を差し伸べる。ラーラの汽車での逃亡シーンを、「これは二人の男が命がけで愛する女を助けたシーン」だと解説する。スタイガーの解説を聞くと100パーセント「悪役」と思えた人物も、本作では多用な解釈を許す描かれ方がされていることがわかる。本作の主要登場人物は、魅力的ではあるが人間として大きな欠点のある人物がほとんどで、政局もロシア革命前後を描き、どの政治的事件も何が100パーセント正しいのか言えないようなものが多い(ロシア革命の概略は頭に入れてから本作の視聴をすると、映画の内容の理解は深まる)。この多様な人物を激動の時代背景に無駄なく配した本作は長尺を感じさせず視聴者を最後まで物語に引き込んでいく一級の出来栄えでスキがない(ラストシーンに登場するラーラの娘のバラライカをジバゴの母親が所持していた赤いバラライカにすればよかったのではという思いは個人的には残ったが)。なお、ブルーレイにある特典の「小説から映画へ」は主に本作におけるデビット・リーンの評価を現代の複数の映画監督らがコメントするもので英語題名は「Celebration」で、原作の話はほとんどないので不適当な邦題と言える。
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