汚い手を使ってスキャンダルを世に送り出すマスコミと、マスコミに踊らされる一般人と、そのマスコミに戦う芸能人という構成が、約70年前から出来上がっていたことに驚く。志村喬あっての作品で、彼が主役と言ってもいいくらい。一人一人の性格と行動が、今の時代でも、どこの世界にいてもあり得、自分はこの中の誰かに当てはまる。蛭川の人間的な弱さがわかるからこそ、歯がゆくなる。そういう意味では、芥川賞作品のような映画だと思った。終戦から5年で日本はこんなにアメリカの影響を受けていたんだということがある意味ショックだった。