サマセット7

エイリアン2のサマセット7のレビュー・感想・評価

エイリアン2(1986年製作の映画)
4.4
エイリアン・シリーズ第2作目。
監督・脚本は「ターミネーター」「タイタニック」「アバター」のジェームズ・キャメロン。
主演はシリーズ通じて「ゴーストバスターズ」「アバター」のシガニー・ウィーバー。

巨大企業による宇宙開発が一般的になった未来。
前作の惨劇の後、コールドスリープからリプリー(ウィーバー)が目覚めると、そこは地球で、57年が経過していた。
前作でリプリーたちがエイリアンと遭遇した惑星は、20年前から植民惑星として開発が行われているという。
エイリアンの危険性を訴えるリプリーだったが、雇用主である企業は聞く耳を持たない。
しかし、そんな中、植民惑星からの連絡が途絶え、企業は現地の人々の救出のため、海兵隊の派兵を要請。
リプリーは航海士への復帰の条件としてアドバイザーとして同行を求められ、やむなく了解する。しかし、辿り着いた植民惑星の基地には戦闘の痕跡があるも、人の気配はなく…。

名作エイリアンの続編にして、前作に勝るとも劣らない評価を得ている作品。
1億3000万ドル超の、前作を超えるヒットを叩き出した。
アカデミー賞視覚効果賞、音響効果編集賞受賞。
前作と同様に、評論家、一般層問わず、極めて高い支持を集めている。
成功した続編ランキングなどでは、常に上位に選ばれている作品。

前作が宇宙を舞台とした、閉鎖空間でのホラーを志向した作品であったのに対して、今作のキャッチコピーは、「今度は戦争だ」。
どこから襲われるか分からないハラハラドキドキの要素は多分に残しつつ、息もつかせないSFアクション・アドベンチャーにジャンルをシフトチェンジさせた。

今作のメインストーリーは、歴戦の海兵隊員たちとリプリーが、エイリアンの潜む植民惑星に取り残された住民の救出に向かい、現地の恐るべき状況を把握した後、同惑星からの生還を目指す、という、いわゆる「行きて帰りし物語」。
軍隊の派兵による救出作戦、というのは、いかにもアメリカ的だ。

前作が、細部から緻密に組み上げられたまさしくリドリー・スコット・ワールドのお化け屋敷的ホラーだったのに対して、今作は、前作の世界観を借用しつつ、どこからどう見てもジェームズ・キャメロン作品に染め上げられている。
母性と強さを同居させたサラ・コナー的な女性キャラクター、営利のために動き信用できないビジネスパーソン、人情を知る人造人間、ケレン味あるマシーン・アクション、細部にこだわったミリタリー描写、初期キャメロン作品常連の俳優陣などなど。
ターミネーターやターミネーター2など、他のキャメロン作品との類似点を探すのも一興だろう。
時間の経過と共に加速度的に盛り上がるハラハラドキドキ感といい、一難去ってまた一難の緩急の取り方といい、ハリウッド最強のヒットメイカーの腕前は存分に振るわれている。

そんな今作の見どころは、まさしく波のように断続的に押し寄せるスリルと、その巧みな演出にある。

前作では、エイリアン自体に、正体不明の宇宙生物という神秘性があり、また遭遇すれば即死、という絶対的な恐怖があった。
そのため、宇宙船のどこかに、エイリアンが潜んでいて、見つかれば死ぬ、というシチュエーションで十二分に映画は成立した。
リドリー・スコットは、リアリズムの徹底とデザインの追究により、世界観と恐怖の深化に成功していた。

一方、すでにネタが割れた今作では、同じ手法を用いても二番煎じに過ぎず、前作には到底及ばない。
そこでキャメロンは、エイリアンの個体としての神秘性は半ば放棄する一方、群体としての押し寄せるスリルを選択。
数百体のエイリアンが押し寄せる、という凄まじい体験をさせてくれる。
他方の人間側にも一定の対抗可能な装備と技術を提供して、僅かながら生き残りの可能性を残し、極限のサバイバルを演出してみせた。

スリルの醸成に一役買っているのは、エイリアンそのものを映さずに、その接近を知らせる各種の演出。
電波障害により乱れたカメラ越しの二次映像や、大量の光点が近づいてくるセンサーの描写などは典型だろう。
むろん、前作の恐怖を知っている、という観客の前提はフル活用。
銃を構えて、建物内を歩くだけで、十二分にスリルを味合わせる。

最終的に、想像を超えてとんでもないものを見せられる、という点は、今作が「SFの名作」たる所以だろう。
今作においては、エイリアン・クイーンがそれに当たる。
少女ニュートを庇うリプリーと、卵に囲まれたクイーンの対峙は、種の存続を賭けた、2人の「母」なる者の邂逅であり、神話めいて印象深い。
その他カメラ付き装備やパワードスーツなどギミックもキャメロンのこだわりが見える。

キャラクターも何とも言えず良い。
戦うヒロインとして覚醒するリプリー。
トラウマを抱えつつ必死に生き抜く少女ニュート。
ターミネーターのカイル・リースに続き戦うヒロインを支えるマイケル・ビーンの演じるヒックス伍長。
前作の因縁から、最後まで謎めいた魅力で惹きつけるアンドロイドのビショップ。
経験不足を露呈する指揮官ゴーマン。
誰より頼りがいのある猛々しい女兵士バスケス。
泣き言が多い男兵士ハドソン。
そして、上っ面トークを得意技にする抜け目ない男バーク。
キャラ立ちの良さは前作以上だろう。
なお、ビショップを演じるのは、ターミネーターを演じる可能性もあった男、ランス・ヘンリクセン。
彼のため、キャメロンの用意した見せ場は、極上のものだ。

今作のテーマは、多様だ。
前作の理解不能な異界との遭遇の怖さ、というテーマは、やや薄まりつつも、一応継承されている。
営利企業の非人間性、というテーマも前作同様か。
今作独自のテーマでいうと、「母は強し」と「数の恐怖」であろうか。
前作と比較して、母性としての強い女性像は明らかに強調されている。
リプリーとニュート、海兵隊における男女の力関係、エイリアンの生態系におけるクイーンの存在感などなど。
上述のとおり、キャメロンの作家性とも不可分な要素であるが。
数の恐怖、すなわち、死を恐れず、倒しても倒しても次から次と無限に襲いかかってくるものへの恐怖は、まさしくアメリカがベトナムで味わったもの。
そう考えると今作の結末は、果たしてハッピーエンドか、と疑問も湧いてくる。

ヒットを連発する監督による、名作の続編にして、大成功したSFアドベンチャーの傑作。
リドリー・スコット、ジェームズ・キャメロンときて、次作3の監督はあのデヴィッド・フィンチャー。
次々作4の監督はアメリのジャン=ピエール・ジュネ。
毀誉褒貶はあるが、名監督たちが技巧を競った、幸せなシリーズと言えるだろう。
引き続き追っていきたい。