RAY

ラースと、その彼女のRAYのレビュー・感想・評価

ラースと、その彼女(2007年製作の映画)
3.8
“人と言う名の器”


ライアン・ゴズリング主演の今作は、非常に新鮮で大切な事を教えてくれる作品でした。


時々、レビューでライアン・ゴズリングの“顔芸”と言う表現を見かけます。
“顔芸”かどうかは別にして、僕は彼の表情だけで作り上げる空気感や表現は素晴らしいと思うし、彼の演技が大好きです。


この作品には大切な登場人物がいるのですが、その女性の名前はビアンカと言います。
実は、この女性、リアルドール(ラブドール)なのです。
ライアン・ゴズリング演じるラースは、ある日突然、兄とその奥さんにビアンカを紹介し一緒に食事をするのですが、このシーンにおけるライアン・ゴズリングの表情(こう言うのこそ顔芸と言うのかな)なんか申し訳ないけれど、笑わずにはいられませんでした。
このシーンは映画においても実はとても重要なシーンなのですが、彼の演技の凄いところは他者に対して滑稽に“見せる”演技をしているだけでなく、言葉ではなく表情でその空気感を作り上げていることです。
実際、このシーン以降、兄だけは彼に対して否定的な態度を取るのですが、その元となる状況がこのシーンだった訳です。


随分とライアン・ゴズリングを褒めることからはじめましたが、この映画は内容も素晴らしいです。
ラブドールを題材にした作品では、『ロマンスドール』が記憶に新しいですが、内容で言えば、この作品とは全く異なります。
面白い点のひとつは、ラースがどうしてビアンカと出会ったのか、何に惹かれたのか等ついてはまったく説明がないことです。
このことにはちゃんと意味があるし、その後、どんな風に物語が進んで行くのかは是非ご覧になって確かめて頂きたいのですが、僕がこの作品を観て学んだことについて書きたいと思います。


学んだこと。
それは、世界は平和でなければならないと言うことです。
愛にも友情にも家族にも様々なカタチがあります。
もちろん、街や国や、もっと言えば世界にだってカタチがあります。
たしかに、大切な誰かや気の合う誰かとは、もしかしたらそのカタチがぴったりと合うのかもしれない。
だけど、この映画が教えてくれるのは、「あんなカタチも良いなぁ」とか「あんなカタチもあるんだなぁ」と言うことです。
カタチに合うことが重要なのではなくて、カタチを認めることが重要なのだなと思います。
また、“認める”と言うと、なんとなくどちらかがまるで折れている様な気もしますが、認められたことによって、気付いたり変わったりすることもあるはずですから。


人間は優しい生き物です。
自分の中でシロやクロを決めることも大事だし、そうしなければいけないこともあるかもしれません。
だけど、「シロもクロもないな。どっちでも良いな」って誰かが教えてくれることもある。

いっぱいに広げた腕は、誰かを抱きしめることだって出来る。
或いは、その手を繋ぐことも出来る。
まるで器の様に、受け止めたり注いだりすることが出来る。
人はきっと優しくなれるはずです。
だから、世界は平和でなければならない。
そんなことをこの映画は思わせてくれるのでした。


僕の観てきたライアン・ゴズリングの中では、また違った彼を観ることが出来るし、作品としても面白いと思います。
ご覧になられたことの無い方は、良かったらご覧下さい。


観て良かった。
RAY

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