久しぶりの視聴です。
セックスのシーンや劇中の衣装、僕個人としてはアート志向であるとする本作は、フッテージを求めては何度も試聴致しましたが、毎度ことごとく、打ち負かされてます。
何故ヒットしたのかはわかりません。
(作品を掴むには難儀しそうですが)
惹きつけられるのはあるいは若き日のキアヌ・リーブス、リバーフェニックス両俳優のルックス、演技の神懸かりによるものでしょうか。
特にリバーの掃き溜めに生きながら場違いに涼しげな顔立ち、少年のような儚さ。
彼の作品がもうこの世に生まれないことが、本当に悔やまれます。
スコット(キアヌ)とマイク(リバー)&その他のゴロツキとの友情を描き、ラストに向かってはスコットの変節でそれが崩れていくというストーリー展開。
男娼という限られた世界に生きる設定が彼らの友情や愛に深みとリアルを与える。
スコットとマイクの境遇の差(対比)やマイクの特異な体質が彼をいっそう孤独なものにする。
探していた母に会えず、想いを寄せたスコットには拒絶され、友情すらも。
それでも何を語らず、淡々と日々を生きていくマイク。
作り手の巧みなギミックが思考を刺激。
淡く切ない青春の日々が目の前で築かれていく。
一体何を中心に回ってる作品なのか。
中心、軸を与えないことによる自由を与えようとしてるのだろうか。
リバーフェニックスの発作を引き金VJ的に移り行く場面、その景色や回想。
端役にまで強烈な個性を与えたアンサンブルを仕掛けておいて、いつの間にか幕が閉じている。
エンディングはサグラダファミリアやらサモトラケのニケに見る未完の美学なのだろうか。
あの男は誰なのだろうか、
マイクは救われたのだろうか。
既の所でバランスを取ってるような作品。
脚本家の頭の中身は一体。
よくもこんな複雑な図形の展開図を書き上げたものだと、、、